奇譚クラブのモデル達

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奇譚クラブやその分譲写真に登場した昭和のモデル達。

曙書房時代の主なモデル

立花郁子

  • 辻村隆が川端多奈子以前に縛ったことがあるモデル。ただし実験的な試みで構成を考えるまでにはいたっていない[1]
  • 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274で紹介。
  • 1951年(昭和26年)6月号に一度モデル希望ということで面接しているが断わった[2]
  • 1952年(昭和27年)夏、高校を卒業してまもなく、再度モデル志願に来たので採用。奇譚クラブ8月号に出ている[2]
  • 緊縛に積極的な女性。使った写真は少ない。川端多奈子が人気を集め出すと共に、家庭の事情で消えていく[2]
  • 『美しき苦悶』奇譚クラブ1952年(昭和27年)7月号, グラビアのいくつかのモデルも立花郁子のように見える。
  • 『縛られたる女』奇譚クラブ1952年(昭和27年)8月号, グラビア[注 1]

川端多奈子

  • 辻村隆が好んだ初期のモデル。M性が強い、1952年(昭和27年)6月に初めて会う。緊縛の構成を本格的にした最初のモデル。別名:川端棚子[1]
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)9月号に初めて登場[注 2][3]
  • 奇譚クラブ1952年(昭和27年)10月号の写真は、2回目か3回目の撮影のもの[2]
  • 辻村隆『縛った女を寫す』奇譚クラブ1952年(昭和27年)12月号
  • 1952年(昭和27年)の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ川端多奈子がモデル[3]
  • 川端多奈子『桃色のベールに包まれて(縛られてみて)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)1月号
  • 川端多奈子『破った日記帳』奇譚クラブ1953年(昭和28年)2月号
  • 川端多奈子『ゆうべ見た夢 破った日記帳より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号
  • 辻村隆塚本鉄三『後手と高手小手による緊縛美の考察』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, 口絵
  • 矢作生『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
  • 羽村京子『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号
  • 川端多奈子『羽村京子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)7月号
  • 川端多奈子『縛られた女ばかりの座談会』奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号
  • 川端多奈子『悦虐に哭く 破った日記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号
  • 川端多奈子『悦虐に咽ぶ 』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号
  • 川端多奈子『悦虐に悶える』奇譚クラブ1954年(昭和29年)1月号
  • 川端多奈子『痛いと感じた時』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号
  • 川端多奈子『モデルの告白 私の好きな縛られ方』奇譚クラブ1954年(昭和29年)6月号
  • 川端多奈子『或る手紙に寄せて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)8月号
  • 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
  • 川端多奈子『告白 縄と猿轡』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
  • 近藤一『川端多奈子を想う』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
  • 川端多奈子『告白 縄の魅力』奇譚クラブ1961年(昭和36年)9月号
  • 近藤一『川端多奈子嬢に「悦虐と愛情と」』奇譚クラブ1962年(昭和37年)1月号
  • 四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。
  • 奇譚クラブの読者と結婚したが離婚[4]

村田那美子

  • 1953年(昭和28年)7月号に初登場。
  • 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号で紹介。
  • 奇譚クラブもモデル募集に応募してきた。自称松竹女優(エキストラ程度)。M性は低いモデル[5]
  • 1953年(昭和28年)に京都府相楽郡笠置町有市の滝でロケ中に、川にはまってしまい、あわや大惨事に[5]
  • 辻村隆塚本鉄三『野外の責場撮映にて』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号, 口絵
  • 村田那美子『手記 初めて縛られて』奇譚クラブ1954年(昭和29年)4月号

杉芙美

1953年(昭和28年)末から登場

  • 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号で紹介。
  • スレンダーな体型。化粧がうまい。M性は低い職業ヌードモデル[1]
  • 杉芙美、村田那美子、坂口利子の連縛は、当初2名の予定が全員出席して急遽3名[1]

坂口利子

  • 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号で紹介。
  • 1953年(昭和28年)5月に始めて会う[5]
  • 反歯で毛深い。猿轡美人。何回かの撮影時にはM性は全くないが、撮影後にきまって情熱的なSMへの思いを書いてきた[5]
  • 坂口利子

伊吹真佐子

  • 1954年(昭和29年)頃から登場。春日ルミとのコンビで頻出。M性強い。
  • 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)4月号で紹介。
  • 長野県諏訪の出身で、奈良県磯城郡に母と妹の3人で住む。週に3回洋裁の勉強に大阪に通うことを口実に奇譚クラブのモデルをしている[6]
  • 「川端さんは牝鹿を思わせたが、伊吹さん・・牝豚を感じた」「時と共にこの第一印象を訂正」[6]
  • 縄の四十八手のモデル[6]
  • 『後手縛りの二態』奇譚クラブ1954年(昭和29年)5月号、口絵
  • 辻村隆『責め撮影行 野外縛りの記録』奇譚クラブ1954年(昭和29年)9月号, p200

春日ルミ

  • 1954年(昭和29年)中頃から登場。
  • 伊吹真佐子とのコンビでしばしば女王様役で出ている。
  • 「春日ルミ・構成」の表記もあるので、主体的に緊縛に関与していた模様。
  • 実際に春日ルミの責めを受けていたという男性の間接的な証言があるので[注 3]、私生活でも女王であった模様。

川辺砂登子

その他

中林カオル、 南泰子、 中富綾子荻千枝子(千恵子)[注 4]小沼正三原桐咲代高瀬忍須川令子、 佐賀美智子、 加賀利江子

白表紙時代(天星社時代)の主なモデル

大塚啓子

  • 1957年(昭和32年)頃から現れる。奇譚クラブで活動期間の最も長いモデルの一人。
  • 一時期、裏窓(1961年(昭和36年)6月、7月号など)にもモデルとして出ていた[7]
  • 「本業の玩具問屋の女店員を止めて、遂々本職のモデルに転向した。ミナト神戸のRスタジオでピカ一」[8]
  • 太田好三『大塚啓子嬢の亀甲型縛礼讃』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
  • 大塚啓子『モデルの手記 いけにえの幸福 』奇譚クラブ1963年(昭和38年)5月号
  • 長門弘『大塚啓子さんへ 柔肌に恋う』奇譚クラブ1964年(昭和39年)3月号
  • 奈良文夫『大塚啓子さんまいる』奇譚クラブ1964年(昭和39年)4月号
  • 大塚啓子『青写真に埋もれて』奇譚クラブ1966年(昭和41年)3月号
  • 山本一章『カメラルポ この女と 大塚啓子の巻』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号
  • 藤川伊佐男『雪国からの春便り「大塚啓子お姉様へ」』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号
  • 大塚啓子『琵琶湖畔女相撲取組フォト』奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号
  • 大塚啓子『永遠のマゾの灯』奇譚クラブ1973年(昭和48年)1月号
  • キトー淳『大塚啓子様を慕う 女王ぶり今ひとたび』奇譚クラブ1973年(昭和48年)3月号
  • 大塚啓子『手記「実験動物」としての私』奇譚クラブ1973年(昭和48年)4月号
  • 西行呟次郎『大塚啓子さんに憧れた頃』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号

絹川文代

  • 1950年代後半に活躍したモデル。MのみならずS役もこなしていた。
  • ダンサーをしていた[9]
  • 絹川文代『モデルの独り言「紅色の自画像」』奇譚クラブ1960年(昭和35年)4月号, p120
  • 小林清『緊縛モデル「絹川文代論」』奇譚クラブ1960年(昭和35年)8月号
  • 小林清・絹川文代『緊縛の女王・絹川文代さんに対する二十の質問とその回答』奇譚クラブ1960年(昭和35年)11月号, p62
  • 逢坂太郎『絹川文代さんへ モデルとしての美貌』1963年(昭和38年)7月号
  • 小雅田勇『女体緊縛美各論 妖艶の美女、絹川文代 』1973年(昭和48年)6月号, p178
  • 絹川文代『Mフォトシリーズ お仕置き』奇譚クラブ1974年(昭和49年)4月号
  • 絹川文代『Mフォト 苦悦する腰掛け』奇譚クラブ1974年(昭和49年)5月号

梨花悠紀子

辻村隆お気に入りのモデル。塚本鉄三も多用した。1960年(昭和35年)12月号から1964年(昭和39年)8月号ぐらいまで登場

山原清子

  • 愛知県出身の芸妓。SM好きの最初の旦那の影響で15才の時から入れ墨を彫る。1942年(昭和17年)ぐらいの生まれ[11]
  • 1964年(昭和39年)12月号から1966年(昭和41年)7月号まで分譲写真が発売[7]
  • 1964年(昭和39年)12月号, p190辻村隆カメラハントに登場。
  • 1965年(昭和40年)頃、賀山茂奇譚クラブ主催の「山原清子の刺青完成会」に出席している。
  • 京都女斗菊『山原清子さんの刺青フォトの感銘』奇譚クラブ1965年(昭和40年)6月号
  • 赤井保『山原清子に寄せる幻想』奇譚クラブ1969年(昭和44年)2月号
  • 1969年(昭和44年)10月号の「編集だより」には「スナックバーのマダムとしておさまっている」とある。
  • 1971年(昭和46年)4月号のサロン我楽記にスナック訪問記が載っている。
  • 山原清子『刺青と女体責め』奇譚クラブ1973年(昭和48年)9月号

東浦ひかる

その他

愛川悦子熱海容子大井小夜子(千代子)加茂良子雲井久子湖田平雄桜井葉子竹野ひろ子田中芳代津川路子中塚文子、 長野良子、 花坂道子花本京子春丘リル平野笑子藤田節子前本妙子 益田房子村井知可子山路ミヨ子四方清美若原明子

暁出版時代の主なモデル

関谷富佐子

谷山久美子

  • 中島貞夫監督「性倒錯の世界」(東映, 1971) に出演。
  • 1970年(昭和45年)9月号のSMカメラハントに登場。

渡部好美

  • 中島貞夫監督「性倒錯の世界」(東映, 1971) に出演。
  • 1970年(昭和45年)10月号のSMカメラハントに登場。
  • 渡部好美『マゾ願望の女』奇譚クラブ1970年(昭和45年)12月号, p10
  • 渡部好美『浣腸プレーに魅せられて』奇譚クラブ1971年(昭和46年)6月号, p42

高村浩子

深田菊子

西条紀代

  • 西条紀代『孤独な紀代よりの便り 飛騨の高山より』奇譚クラブ1975年(昭和50年)1月号, p126

山口艶子

その他

荒尾慶子、 笠井奈保子、 金原奈加子、 川越美佐子、 左近麻里子、 佐々木真弓、 座間明子、 鈴木千鶴子苗木陽子、 中河恵子、 福井桃子、 堀貴代子前田真知子、 美木乃々子、 矢島靖子 安井喜久子、

(未整理)

五月亜紀子

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274
  3. 3.0 3.1 覆面子白頭巾『緊縛フオトと緊縛モデル夜話』奇譚クラブ1959年(昭和34年)4月臨時増刊 SADO特集号第2集, p68
  4. 辻村隆「話の屑籠」奇譚クラブ1958年(昭和33年)7月号, p34
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)5月号
  6. 6.0 6.1 6.2 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)4月号
  7. 7.0 7.1 7.2 昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真より
  8. 辻村隆「話の屑籠』奇譚クラブ1959年(昭和34年)11月号, p20
  9. 小雅田勇『女体緊縛美各論 妖艶の美女、絹川文代 』1973年(昭和48年)6月号, p178
  10. 辻村隆『観賞用女性』1960年(昭和35年)12月号, p71
  11. 奇譚クラブ1964年(昭和39年)12月号, p190辻村隆カメラハント
  12. 12.0 12.1 塚本鉄三『捨身の女、菊子のすべて』奇譚クラブ1975年(昭和50年)2月号, p30

注釈

  1. 右上の胡座を書いている女性と、その一番下の机の上で仰向けになっている女性。さらに次のページの木に縛られている女性。
  2. ただしこれ以前に、分譲フォトでは既に現れていた。
  3. mixiのみか鈴女史の日記より
  4. 荻千枝子が春日ルミと同一人物ではないかという指摘もある(みか鈴)。

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