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[[画像:shima.jpg|150px|thumbnail|四馬孝 [[奇譚クラブ]] 1954年(昭和29年)11月号より]]
{{四馬孝}}
'''xx'''、19ss年(昭和x年) -
 
==活動内容==
絵師。1950年代-60年代の[[奇譚クラブ]]で活躍。顔責め、[[鼻責め]]、革拘束具の責め絵が多い。
 
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Takashi_Shima Takashi Shima]、四万孝、深山翠、多摩敏郎
 
==略歴==
1959年(昭和34年)4月、[[奇譚クラブ]]SADO特集号第2集では、四馬孝が大きく特集されている。
 
1961年(昭和36年)4月、[[奇譚クラブ]]の「[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196604/01/009.html 編集部便り]」で「[[四馬孝]]氏が来阪。久々ぶりにアブ探求の体験談をきいた・・」とある。
 
==エピソード==
*[[塚本鉄三]]と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた<ref>[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197007/197007_039.html p233]</ref>。
*[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)8月号に「新人モデル[[奇譚クラブのモデル達|若原明子]]さんにポーズをつける[[四馬孝]]氏」の[http://nawa-art.com/backnumber/1960/196008/KK196008_007.html 写真]がある。
 
==代表作品==
*『新人責め絵集 悲しき道化役者』[[奇譚クラブ]]1953年(昭和29年)11月号
*[[四馬孝]]『絵物語 嫉妬』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195502/01/028.html グラビア]
*[[四馬孝]]『'''責めの美人と皮革について'''』[[奇譚クラブ]]SADO特集号第2集 1959年(昭和34年), [http://nawa-art.com/backnumber/ext/195904ext/02/055.html p58]
*中村淳三、[[四馬孝]]『'''白線地帯の女狩'''』[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)7月号
*[[四馬孝]]『'''より美しきもの'''』[[奇譚クラブ]]1961年(昭和36年)1月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196101/01/006.html グラビア]
*『吊責遊び方教室』[[奇譚クラブ]]1960年(昭和35年)12月号
*1969年(昭和44年)、[[奇譚クラブ]]5月号臨時増刊号『[[花と蛇]]』特集の口絵。
*[[奇譚クラブ]]1975年(昭和50年)3月最終号の表紙。
* [[相馬俊樹]]・編『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883751287/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4883751287 '''秘匿の残酷絵巻 臼井静洋・四馬孝・観世一則~風俗資料館 秘蔵画選集2''']』([[書苑新社]], 2011)
 
== 引用文献==
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==注釈==
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== お役たちweb==
*[http://nama.99k.org/list.html Nama氏の四馬画像データベース]
==つながり==
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2024年3月31日 (日) 16:45時点における最新版

四馬孝 奇譚クラブ 1956年(昭和31年)8月号より

しま たかし、(生年月日不詳)。奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから1975年(昭和50年)3月の最終号まで登場した絵師。「鼻責め」を特徴。同誌のグラビア撮影にも関与。

概要

絵師。奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから1975年(昭和50年)3月の最終号まで作品発表。顔責め、鼻責め、革拘束具の責め絵が多い。奇譚クラブの写真撮影にも積極的に関与していた模様。

別名

Takashi Shima 四馬孝 四万孝 深山翠 多摩敏郎

略歴

1954年(昭和29年)11月、奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから登場。

1959年(昭和34年)4月、奇譚クラブSADO特集号第2集では、四馬孝が大きく特集されている。

1961年(昭和36年)4月、奇譚クラブの「編集部便り」で「四馬孝氏が来阪。久々ぶりにアブ探求の体験談をきいた・・」とある。

1974年(昭和49年)、多摩敏郎の名でサスペンスマガジンに作品発表。

1975年(昭和50年)3月、奇譚クラブ最終号である3月号の表紙。

エピソード

  • 塚本鉄三と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた[1]
  • 奇譚クラブ1960年(昭和35年)8月号に「新人モデル若原明子さんにポーズをつける四馬孝氏」の写真がある。
  • 志摩紫光「とても嗜虐心を掻き立てる女の表情に興奮したな〜(苦笑)。大好きな絵師で、まだご存命なんですよね。」(2016.2.17, Mixiでのコメント)

代表作品

ギャラリー

引用文献

  1. 奇譚クラブ1970年(昭和45年)7月号, p233

注釈

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