「やまと新聞」の版間の差分

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1886年(明治17年)10月7日、『'''警察新報'''』が『[[やまと新聞]]』に改題<ref name="Wiki"></ref>。
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1886年(明治17年)10月12日、付録に[[月岡芳年]]が[[錦絵新聞]]の『'''近世人物誌'''』を連載開始。


1909年(明治42年)、[[伊藤晴雨]]が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。
1909年(明治42年)、[[伊藤晴雨]]が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。
1944年(昭和19年)10月、付録に[[月岡芳年]]が[[錦絵新聞]]の『'''近世人物誌'''』を連載開始。


1945年(昭和20年)5月、休刊<ref name="Wiki"></ref>。
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2014年4月24日 (木) 18:38時点における版

月岡芳年作「近世人物誌」やまと新聞1887年(明治20年)333号附録

やまとしんぶん

概要

花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的の明治の「小新聞」。月岡芳年水野年方伊藤晴雨が挿絵を描いていた。付録に錦絵新聞がしばしばついており、月岡芳年が『近世人物誌』を連載。

発行年・出版社

やまと新聞社

主な出来事

1884年(明治17年)10月4日、東京日々新聞の創始者、條野伝平が『警察新報』を創刊[1]

1886年(明治17年)10月7日、『警察新報』が『やまと新聞』に改題[1]

1886年(明治17年)10月12日、付録に月岡芳年錦絵新聞の『近世人物誌』を連載開始。

1909年(明治42年)、伊藤晴雨が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。

1945年(昭和20年)5月、休刊[1]

1945年(昭和20年)10月1日、復刊[1]

1946年(昭和21年)1月11日、『新夕刊』と改称[1]

1950年(昭和25年)3月20日、『日本夕刊新聞』に改題[1]

1952年(昭和27年)7月10日、『新夕刊』に復題[1]

1958年(昭和33年)4月16日、『国民タイムズ』に改題[1]

1960年(昭和35年)4月、『夕刊東京スポーツ』に改題[1]

1962年(昭和37年)、『東京スポーツ』に改題[1]

エピソード

水野年方作『芸妓おふみ殺し』やまと新聞 1886年(明治19年)12月17日号より
  • 新夕刊』時代には一時期「サザエさん」も掲載されていた。

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 Wikipediaより

注釈

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