「あけぼの会事件」の版間の差分

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==事件の概要==
==事件の概要==
===「週刊現代」による<ref name="gendai">『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-75.</ref>===
===「週刊現代」による<ref name="gendai">「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.</ref>===
 
*1968年(昭和33年)9月、『[[奇譚クラブ]]』の同好の士を全国から募集。これを機に「'''あけぼの会'''」の設立を計画。
*「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる。
*1969年(昭和34年)4月頃、「'''あけぼの会'''」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える。
*1969年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」で活動。
*1969年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「'''あけぼの会'''」主催の撮影会。18名参加。
*同年10月頃、上記の撮影会に参加した会社員某が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。
*1969年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は[[森下高茂]]を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕。「あけぼの会」の手入れ。検挙されるまでに100万円ぐらいをあらかせぎ。
*[[森下高茂]]、中条泰太郎は送検されたが、[[森下高茂]]は保釈中。






1954.11 http://nawa-art.com/backnumber/1950/195411/03/158.html
1954.11 http://nawa-art.com/backnumber/1950/195411/03/158.html
八月二十八日付の「週刊現代」は「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版──」
Mは慶大仏文学出身のインテリで、原忠正のペンネーム


== 引用文献==
== 引用文献==

2011年8月17日 (水) 09:55時点における版

概要

1960年(昭和35年)に発生した奇譚クラブの常連寄稿者であった森下高茂が主宰するSMサークル関連のトラブル。「週刊現代」ではでに攻撃されたためにSMに関するネガティヴなイメージが世間に広がることになった。

事件の概要

「週刊現代」による[1]

  • 1968年(昭和33年)9月、『奇譚クラブ』の同好の士を全国から募集。これを機に「あけぼの会」の設立を計画。
  • 「M・S趣味の会。希望者は、世田谷局区内私書函十三号へ」と広告。中条泰太郎、大島、西岡らを部下として3名の女性を会員にあっせんし変態行為をさせる。
  • 1969年(昭和34年)4月頃、「あけぼの会」が本格的に活動開始。入会金千円、会費二千円/月。仲介料が3000-5000円。女性は田崎美代子ら12名に増える。
  • 1969年(昭和34年)7-9月、「みやこホテル」「大洋ホテル」で活動。
  • 1969年(昭和34年)10月、代々木山谷の某ホテルで「あけぼの会」主催の撮影会。18名参加。
  • 同年10月頃、上記の撮影会に参加した会社員某が、自身の写った写真をねたに30万円を恐喝されたとして、目黒碑文谷署に届け出る。
  • 1969年(昭和34年)11月、目黒碑文谷署は森下高茂を、売春防止法違反、恐喝、同未遂、公然ワイセツ等の容疑で逮捕。「あけぼの会」の手入れ。検挙されるまでに100万円ぐらいをあらかせぎ。
  • 森下高茂、中条泰太郎は送検されたが、森下高茂は保釈中。


1954.11 http://nawa-art.com/backnumber/1950/195411/03/158.html

引用文献

  1. 「暴かれた上流階級の変態クラブー映画“甘い生活”の日本版ー」『週刊現代』1960年(昭和35年)8月28日号, p72-74.

注釈

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つながり

森下高茂 エロ法規制の歴史