スタジオ418

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SMマニア1982年(昭和57年)8月号のスタジオ418(吉村彰一が1981年頃に設立)の広告。

すたじお418。後にシネマジックを立ち上げる吉村彰一松本祐治ら何人かと1981年(昭和56年)末に設立した初期のビデオメーカー。SM作品を多く製作し、田中欣一がスチール写真や緊縛を担当。

概要

1981年(昭和56年)末、吉村彰一松本祐治らが設立。1983年には吉村彰一は抜け[1]松本祐治が社長のビデオクールミントとなり、スタジオ418ZAPPAがレーベル名となる[1]。80年代中頃には速水健二池上ゆたかが参加[1]

別名

スタジオ418 ビデオクールミント

レーベル

スタジオ418 ZAPPA ZAPPA BOY A・S・M・P 見鯛 MITAI

主な監督

清水聡 小川立 細山智明 ダーティ・松本

歴史

1981年(昭和56年)末、演劇仲間であった吉村彰一松本祐治ら5人がスタジオ418を設立。最初の作品は8mmフィルムで撮影したものをテレシネにした『H氏の調教現場生撮り[2]スタジオ418の名称は事務所のあった「グランメール池袋418」に由来している[2]

1983年(昭和58年)8月、東池袋一丁目に事務所を移転[3]

1983年(昭和58年)11月、意見の食い違いから(吉村彰一ら)何人かの初期メンバーが抜け、松本祐治を社長とする株式会社ビデオクールミントが設立される。スタジオ418はレーベル名として残り、SM以外の一般作品も製作しはじめる[2]

1985年(昭和60年)、アートビデオシネマジックスタジオ418日本ビデオ倫理協会に加盟[4]

1990年(平成2年)、倒産[5]

所在地

豊島区東池袋3-13-13グランメール池袋418

豊島区東池袋1-44-10 タイガースマンション東池袋305 (1983-89年頃)

練馬区中村北3-23-5-5F(1990年の倒産後は倒産前に販売されていた作品もこちらの住所が記載されたパッケージで販売されていた)[5]

代表作

  • H氏の調教現場生撮り』(スタジオ418, 1982)
  • 緊縛浣腸編』(スタジオ418, 1982)
  • マニアZ氏の陵辱日記』(スタジオ418, 1982) 出演:丹羽さゆり
上記の初期3作品は8mmフィルムで撮影してからビデオに落とした作品[2]
  • H氏の調教現場生撮りPartII・逆さ吊り痴獄編』(スタジオ418, 1982)
この第4作から3/4インチビデオによる撮影[2]

ギャラリー

エピソード

プライムウエイとの関係[5]

一部、「有限会社プライムウエイ」の名前が入った作品が存在するが、これらは、オリジナルのスタジオ418の作品をコピーしたものを販売していたもので、作品の製作にはプライムウエイは関係していない[5]

例えば

引用文献

注釈

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つながり