マリエ
提供:SMpedia
1983年(昭和58年)2月に大阪難波にオープンしたSMクラブ。無人島でのSMフェスティバルなども企画。村田光生が緊縛師としてSMショーに定期出演。明智伝鬼がマリエのSMショーを称賛。
概要
1983年(昭和58年)に大阪球場近くにオープンしたSMクラブ。村田光生がSMショーに定期出演。各種SM企画もおこなっていた。
別名
マリエ マリエスポーツクラブ マリエ・スキャンダル MARIE SCANDAL
所在地
難波
歴史
1983年(昭和58年)2月、大阪市難波の大阪球場近くにオープン[1]
1984年(昭和59年)2月26日、S&Mスナイパー4月号に「マリエ・SMパーティー」案内。大阪ミナミのホテル。15,000円。
1984年(昭和59年)6月、SMスピリッツ6月号の雪村春樹『浪華あぶとぴあ』の撮影は、マリエのタドコロが紹介したモデル三名が出演。タドコロが縛師として紹介されている。
1984年(昭和59年)9月9日、和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」[2]。
1984年(昭和59年)10月27日、SMスピリッツ11月号にマリエ・プレイルームでのSMショーの案内。10,000円。
エピソード
- 明智伝鬼が1987年頃の関東でのSMショーがダラけていることを指摘する際に、大阪の「マリエ」と比較している[注 1]
- 畳敷きの和風スタジオだった[3]
- 毎週第3土曜日にSMショーや撮影会。ショーには志摩涼子などが出演し、ゲストは緊縛師村田光生[4]
- 1988年頃は「現在、休業中」とある[注 1]
ギャラリー
-
別冊S&Mスナイパー1983年(昭和589年)10月号に5ページにわたるマリエの紹介記事。常連愛用者のY氏がレポート
-
SMスピリッツ1984年(昭和59年)11月号の大阪版SMマップより
-
SMコレクター1985年(昭和60年)2月号の広告
-
S&Mスナイパー1985年(昭和60年)6月号のSMクラブマップより