大塚啓子
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おおつか けいこ
概要
奇譚クラブ白表紙時代(天星社時代)のモデル。1957年(昭和32年)頃から現れ、同誌で活動期間の最も長いモデルの一人とされている。M性はあまり強くなかったようだ。
略歴
エピソード
- 山本一章は辻村隆との対談で大塚啓子について「真からのMではないですね」「よく笑うの困る」「緊張感が出ない」[3]。
- 辻村隆は山本一章との対談で大塚啓子について「(最近)整形したという噂だけど」「何でもこちらの言うとおりよくやってくれるが、一寸文句が多い」「露出を嫌う」「そのくせ案外開放的で大胆」「箕田さんが甘やかしたからかもしれませんよ」「大塚啓子はいつも箕田さんと一緒」「いいところは、明朗快活無邪気、はきはきしていて、ちっとも暗いところのない」と述べている[3]。
関連作品
- 『ニューガールの緊縛模様』奇譚クラブ1958年(昭和33年)3月号, グラビア
- 太田好三『大塚啓子嬢の亀甲型縛礼讃』奇譚クラブ1961年(昭和36年)8月号
- 大塚啓子『モデルの手記 いけにえの幸福』奇譚クラブ1963年(昭和38年)5月号
- 塚本鉄三『椅子逆エビしばり髪吊り』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号, グラビア[注 1]
- 『猿ぐつわの種々相四態』奇譚クラブ1964年(昭和39年)2月号, グラビア
- 長門弘『大塚啓子さんへ 柔肌に恋う』奇譚クラブ1964年(昭和39年)3月号
- 奈良文夫『大塚啓子さんまいる』奇譚クラブ1964年(昭和39年)4月号
- 芳野眉美『アルバム列伝』奇譚クラブ1964年(昭和39年)5月号, p162
- 大塚啓子『青写真に埋もれて』奇譚クラブ1966年(昭和41年)3月号
- 山本一章『カメラルポ この女と 大塚啓子の巻』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号
- 藤川伊佐男『雪国からの春便り「大塚啓子お姉様へ」』奇譚クラブ1967年(昭和42年)6月号
- 大塚啓子『琵琶湖畔女相撲取組フォト』奇譚クラブ1968年(昭和43年)3月号
- 大塚啓子『永遠のマゾの灯』奇譚クラブ1973年(昭和48年)1月号
- キトー淳『大塚啓子様を慕う 女王ぶり今ひとたび』奇譚クラブ1973年(昭和48年)3月号
- 大塚啓子『手記「実験動物」としての私』奇譚クラブ1973年(昭和48年)4月号
- 西行呟次郎『大塚啓子さんに憧れた頃』奇譚クラブ1973年(昭和48年)6月号