二代目葵マリー
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にだいめあおいまりー、くれない らん
概要
1988年(昭和63年)頃、半年ほど活動していたミストレス。二代目葵マリーとして短期間ではあるが活動していた。
別名
略歴
1967年(昭和42年)12月20日、生まれる[1]
1987年(昭和62年)11月、マニア倶楽部11月号に奴隷契約書のオープン記事。ママ女王様として紅乱(くれない らん)が紹介されている。
1987年(昭和62年)12月、S&Mスナイパー12月号の『ピクトリアル・イン・スレイプガール⑧ INTO THE NIGHT』に奴隷契約書所属のM女として紹介される。
1988年(昭和63年)3月、S&Mスナイパー3月号の『北原ちあきが探るNEW SM GALS LIFE 第15回』に奴隷契約書所属の女王様として紹介されている。
1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[2]。中野店は中野クィーンのビルの3F[3]。
1989年(平成2年)頃、奴隷契約書は二代目葵マリーこと紅乱が中心。月に一度アルファ・インでSMショーを開催[4]。
エピソード
- 「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた・・・初代と私が逮捕されている間に(2000)・・逃げちゃった」[5]。