日劇ミュージックホール
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歴史
1933年(昭和8年)12月24日、有楽町(現在の阪急デパートの場所)に「日本劇場(日劇)」が誕生。
1936年(昭和11年)1月、「日劇ダンシングチーム」誕生。
1945年(昭和20年)12月、 大戦末期は公演を中止していたが、日劇ダンシングチームとして公演再開。
1947年(昭和22年)3月、日劇5階の日劇小劇場での東京レビュー『院長さんは恋がお好き』公演で鈴木好子がベリー・ダンスをしながら衣装を次々に脱いでいった。
1952年(昭和27年)、日劇5階『日劇小劇場]』に日劇ミュージックホールがオープン。東宝社長であった小林一三の指示。プロデュースは丸尾長顕[注 1]。越路吹雪を迎えて開幕[1]。
1966年(昭和41年)7月、日劇ミュージックホール「ハローJAPAN」に元ボクシング王者の異色タレントとして東郷輝久と共に出演[2]。
1976年(昭和51年)2月、日劇ミュージックホールに出演。団鬼六演出による「春の夜の女絵巻」[3][注 2]。
1981年(昭和56年)2月24日、 施設の老朽化と東京都の再開発事業により閉館。跡地には有楽町センタービル(有楽町マリオン)が建てられた。
1981年(昭和56年)3月5日、東京宝塚劇場5階に新日劇ミュージックホールがスタート。
1984年(昭和59年)、閉場。
エピソード
- 1952年(昭和27年)から1958年(昭和33年)ぐらいが全盛期。
- 伊吹まり、メリー松原、春川ますみ、奈良あけみ、ジプシー・ローズなどが出演した。
- トニー谷、泉和助、関敬六、E・H・エリックなどが出演した。
引用文献
- ↑ 広岡敬一『戦後性風俗体系 わが女神たち』(朝日出版社, 2000)
- ↑ 『The Nichigeki Music Hall』(東宝, 1982)
- ↑ 団鬼六オフィシャルサイトより(2010)