鷹木竿主
たかぎ かんしゅ、1960年(昭和35年)2月1日-2016(平成28年)2月18日
概要
SMクラブ経営。仕掛人。緊縛師。
別名
牢獄看守長。
略歴
子供の頃、父親が隠し持っていたSM雑誌の緊縛画に感動[注 1]。
1995年(平成7年)4月、パソコン通信を使ったSMサークル[注 2]を運営[1]
1998年(平成10年)5月、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」改正(施行は1999年4月)。出張マッサージなど無店舗型の営業や、インターネットでのアダルト映像送信営業が届出対象。
1998年(平成10年)7月、12年勤めた会社を退職し、退職金を元に鶯谷にSMクラブ[注 3]を開店[1]。開店と同時にブログ「店長月記」を始める[注 4]。
1999年(平成11年)1月、ビデオに緊縛師として出演[注 5]。
1999年(平成11年)4月、風俗営業法の改正による無店舗型風俗特殊営業の届出第1号となる[1]。
1999年(平成11年)7月、明智蕾火を招きSM講習会&撮影会を定期開催。明智蕾火は12月より「アレスト」に在籍[1]。
1999年(平成11年)12月、大阪で行われた「変態の主張’99」に明智伝鬼や髭と共に参加[1]。
2000年(平成11年)1月、明智伝鬼の「サロン雅羅紗」で行われるイベントに「アレスト」から女性を派遣[1]。
2000年(平成11年)7月27日、ロフトプラスワンの『雅羅紗座プレゼンツ「妖かしの夜」』に出演。他に、明智伝鬼、明智蕾火、立川ワコール、浅井隆[1]。
2000年(平成11年)9月、明智伝鬼の誕生パーティーで団鬼六、小川美那子、リッキー梶原、仮面舞踏会の栗田店長、京都ローゼンクロイツや目黒ラビリンスのオーナー、伊達邦晃氏、大阪でミックスルームの大黒堂ミロ氏と会う[1]。
2001年(平成13年)6月、明智伝鬼プロデュースによるSMクラブ『クラブ雅羅紗』を池袋にオープン[注 6][2]。
2010年(平成20年)4月、札幌にSMクラブ『TOPAZ』をオープン。
2016(平成28年)2月18日、永眠。
エピソード
- 館淳一「鷹木竿主氏が『牢獄看守長』というハンドルでサブシスをやっていたのがMOON-NETの『ヴァンセンヌ牢獄』でした。シスオペは「みぃ」さんという女性」(2015.1.18, Facebook)
- 1999年1月号のS&Mスナイパーにマスターズクラブのプレイが紹介。「髭のサロン」のホームページ制作をまかされていた[1]。
- HP制作ではsubchannelの主宰者・泉屋氏の協力[1]。
代表作
参考資料
注釈
- ↑ 後に、小妻要の絵であったことを知る。
- ↑ 『SMねるとんサークル』
- ↑ 店名は「アレスト」。その後、2000年(平成12年)11月、大塚にSMクラブ『ヴァンセンヌ』をオープン、2002年(平成14年)4月、にはSM専門交際クラブ『六本木ファイル』をプロデュースしている。また、2001年(平成13年)11月には「アレスト」の株式会社化をおこなっている。「アレスト」の営業権は2005年(平成17年)5月に第三者に譲渡し、自らは同地に『マスターズクラブ』をオープン。2006年(平成18年)4月には、PCゲームとのコラボによるSMクラブ『夜勤病棟』を渋谷にオープン(2008年(平成20年)3月、版権契約満了により閉店)。2008年(平成20年)5月に札幌市に移住し、SMクラブ『ギルティ』をオープン。(私信)
- ↑ この記録はここに観ることができ、当時のSM状況を知る貴重な材料となっている。
- ↑ 2010年現在、出演作は30本を超える(私信)
- ↑ 2005年(平成17年)11月、明智伝鬼の急逝に伴い閉店。