1842年(天保13年)、市村座が日本橋から浅草猿若町に移転。
1884年(明治17年)11月、中村座が日本橋から浅草西鳥越町(現・台東区鳥越1丁目)へ移転。
1887年(明治20年)、13才の竹本綾之助が女義太夫としてデビューして大変な人気。若者を中心とする熱狂的なファンは「どうする連」と呼ばれた[1]。
浅草の歴史