春日章
かすが あきら、1926年(昭和元年) - 2011年(平成23年)9月25日。岩田専太郎に師事し、堂昌一の名で挿絵画家として世に出る。春日章の名では裏窓、SMセレクト、SMファンなどに挿絵。
概要
絵師。裏窓、SMセレクト、SMファン、別冊SMファン、SMクラブ、SM奇譚、SMスパイダーなどに作品発表。裏窓の表紙も描いていた。日本出版美術家連盟理事長、日本文芸家クラブ副理事長。
別名
略歴
1926年(昭和元年)、東京に生まれる。
1933年(昭和8年)、父の死にともない、母と共に姉の婚家へ引き取られる[1]。
1941年(昭和16年)、本郷絵画研究所に入所。土井栄や中尾進がいた。
1940年代、志願兵として千葉県館山の州崎海軍航空隊へ入隊。まもなく横須賀の追浜海軍航空隊に転属。航空隊にあった戦闘機や軍艦の絵を描く「射爆研究室」入る[1]。
1944年(昭和19年)、大東亜戦争美術展、聖戦美術展出品、陸軍美術協会会員
1948年(昭和23年)、西銀座に喫茶「ねすぱ」を開店、編集者が店に集まるようになり彼らに頼まれるまま少しづつ雑誌のカット等を描くようになる[1]。
1951年(昭和26年)12月、讀切ロマンス1951年(昭和26年)7月号, p208に挿絵。
1959年(昭和34年)、この頃「裏窓」などに作品発表。
1972年(昭和47年)、笹沢佐保「日暮妖之介」の挿絵(週刊小説)[1]。
1973年(昭和48年)、笹沢左保「潮来の伊太郎」の挿絵(週刊読売)。
1974年(昭和49年)、私淑していた岩田専太郎死去により連載中の松本清張作「西海道談綺」挿絵を引き継ぐ(週刊文春)。
1984年(昭和59年)、森村誠一作「忠臣蔵」挿絵(週刊朝日)。
1987年(昭和62年)、小妻要、沢登みよじ、堂昌一、西村晴海、レオ澤鬼で「艶5人展」発足[注 1]。
1998年(平成10年)、池宮彰一郎作「本能寺」挿絵(毎日新聞)。
2011年(平成23年)9月25日、病気療養中のところ永眠。
エピソード
- 妻の小唄の名取名が「春日章一」でこれが春日章の由来[1]。
- 実娘の中西美子もイラストレーターとして活躍。
- 母と身を寄せた姉の家は浅草の花柳界と吉原に挟まれた象潟町にあった建具屋。幼い頃から花魁に可愛がられる生活を送る[1]。
- 館淳一「鬼六さんの作品とは絶妙の相性でした。黒髪を美しく描く人で、髪には相当の思い入れがあったと思われます。私は雑誌で挿絵をいただいたことはありませんが、東スポの『いろ艶筆』の連載では挿絵をいただいていました(堂昌一名義)。もったいないことでした。」[2]
作品
雑誌表紙
- 『裏窓』(久保書店、1959)
- 『剣豪列伝集』(双葉社、1966)
- 『大衆小説』(双葉社、1967)
- 『読切文庫』(双葉社、1968)
- 『大衆小説』(双葉社、1972)
- 『時代物読切』(駿河台書房、1974)
書籍挿絵
- 城戸禮『男一匹つむじ風』(青樹社、1962)(装幀:堂昌一)
- 飯田豊一『秘剣残酷囃子』(耽美館, 1969)(挿絵:堂昌一)(SM耽美文学シリーズ No.11)
- 城戸禮『国際秘密警察 地獄行き三四郎』(広済堂、1972)(挿絵:堂昌一)
- 団鬼六『異形の遊戯』(ワニマガジン, 1996.7.10)(発行人:平田昌兵、アートディレクション:武田和久、写真:山崎シンジ、緊縛師:明智伝鬼、長池士、絵:春日章、小妻要、春川ナミオ、モデル:小川実那子他)
雑誌挿絵
- 岩堀光『唐手仁侠 鉄火場往来』讀切ロマンス1951年(昭和26年)7月号, p208[注 2]
- 岩堀光『唐手仁侠鉄火場往来』夫婦ロマンス1951年(昭和26年)12月[注 3]
- 矢桐重八『ぬめ肌女郎』裏窓1963年(昭和38年)8月号挿絵
画集
- 耽美館編『耽美の発見』(耽美館, 1969)(発行:芳賀書店)(SM文学別巻。写真と画集。曽我部泰、小日向一夢、美濃村晃、丘水仙、山田彬弘、堂昌一などの作品)
- 春日章『春日章 妖艶画集』(1993, グリーンドア文庫)
- 堂昌一『QROQUIS SHOICHI DO』(2010, 私家版)