遥美沙樹
はるか みさき、19??年(昭和??年)3月26日-
概要
緊縛師。2000年前半から女性緊縛師として活動し、2003年(平成15年)から一般の人やプロのミストレスを目指す女性を対象の緊縛教室を開いていた。緊縛以外にもアナル開発にも力を入れており、アナル開発教室も開催していた。2008年(平成20年)10月に新宿で女王様専科「ACID」を開店、同店は2011年(平成23年)4月に「MYRRH」と改名している。アナル開発とスピリチュアルな活動、緊縛教室を開いている。
別名
Misaki Haruka、ハルカミサキ、フレ、ETSUKO
略歴
函館市に生まれる。
4才の頃、叔母の部屋にあったレディコミを見て衝撃を受ける。弟を女装させ縛ることに快感を覚える[1]。
1999年(平成11年)、大塚「Club Dull」に入店しSMの世界に。同時期に姉妹店であるA.N.A.C(オールニッポンアナルクラブ)に入店[2]。
2000年(平成12年)、『お尻倶楽部』(三和出版)にコラム連載(2002年まで)[1]。
2001年(平成13年)、『SMスキッパー』にコラム[1]。
2002年(平成14年)、緊縛サイト「縄部屋」にて緊縛・責めを担当。
2003年(平成15年)、緊縛教室を開設。この時期より緊縛師としての仕事が増えていく[2]。
2004年(平成16年)、目白「Purple Moon」に入店[注 1][2]。
2004年(平成16年)、「SMスキッパー」にコラム執筆[2]。
2004年(平成16年)、医療プレイ専門店Kに入店[2]。
2006年(平成18年)、結婚のためにプレイヤー休業。緊縛講師のみの活動を続ける[2]。
2008年(平成20年)、三和出版などに作品発表。
2008年(平成20年)、現役復帰。「縄とアナルの教室」を主宰[2]。
2008年(平成20年)10月、女王様専科「ACID」を開店。
2009年(平成21年)、プロ養成プログラム「遥美沙樹の教室」を開催。
2009年(平成21年)1月18日、六本木モード・エ・バロックでミストレス対象の緊縛講習会。
2009年(平成21年)4月、緊縛教室の講師に一華を。
2009年(平成21年)、杉浦則夫「緊縛桟敷」の緊縛を担当[2]。
2010年(平成22年)、「縄とアナルの教室」を風俗店にするために名称を「アナ研」に変更し設立[2]。
2011年(平成23年)、緊縛教室の拡大版を六本木バロックで開催[2]。
2011年(平成23年)、オーナー権限を第三者に譲渡し、講師のみの活躍になる[2]。
2011年(平成23年)、「ACID」を「MYRRH」と改名。スピリチュアルな活動に軸足を移す。
2012年(平成24年)、主にミストレスを対象とした緊縛教室を活発化。「Roissy Eau」をオープン。
2012年(平成24年)10月1日、MYRRH/アナ研の業務から退く。
2013年(平成25年)6月14日、アナ研復帰。
2013年(平成25年)、名古屋WISEの緊縛を指導[2]。
2013年(平成25年)、MotheRs、Baby Entertamentの作品に参加[2]。
エピソード
代表作
- 『ギチギチに超拘束されて責められたい』(アロマ、2004)