久保藤吉
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くぼ とうきち
概要
印刷業出身で、大元社からいくつかの文芸書を出版していた。1949年(昭和24年)、高橋鐵を知り、あまとりあ社を設立して同氏の代表作である『あるす・あまとりあ』を出版。1953年(昭和28)年には久保書店を設立。『あまとりあ』『かっぱ』『裏窓』『耽奇小説』などの雑誌や、他のSM歴史上重要な書籍の発行に関与し、中田雅久、須磨利之、濡木痴夢男、椋陽児、浦戸宏などの雇用者でもあった。
別名
略歴
1949年(昭和24年)11月30日、『あるす・あまとりあ』を出版[注 1]。60万部を超す大ヒットとなる。[1]。
1951年(昭和26年)2月1日、久保藤吉が編集・発行人で『あまとりあ』(あまとりあ社)創刊。まもなく中田雅久が編集人。
1953年(昭和28)年4月1日、株式会社久保書店設立。続いて、4月10日は株式会社あまとりあ社[注 2]創立[2]。
1956年(昭和31年)1月、かっぱ創刊。
エピソード
- 戦争中は軍関係の印刷を担当していたために、終戦後、紙を多量に所有していた。終戦直後は紙不足であったtめに、所持していた紙をもとに、印刷業から出版業へ乗り出した[3]。
- 久保藤吉と高橋鐵の出会いは、久保藤吉によると「東京スポーツの大村氏の紹介」とあり、高橋鐵によると「式場隆三郎の紹介」、とある[4]。