川端多奈子

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辻村隆による川端多奈子逆さ吊り写真 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)3月号より

かわばた たなこ

概要

奇譚クラブ曙書房時代のモデル。B5版時代からモデルをしていたとある。辻村隆が緊縛の構成を本格的にした最初のモデルで、その後も好んで縛った初期のモデル。言い方を変えるならば、川端多奈子との出会いが辻村隆をして、本格的な緊縛術の開発に目覚めさせたとも言える。その辻村隆との最初の出会いは1952年(昭和27年)6月で、その時点で、川端多奈子は既に須磨利之のモデルを1,2回経験していたようだ。M性が強かった。自ら緊縛もしていたようだ。

別名

川端棚子[1]

略歴

四国の松山の生まれ。大阪の商事会社事務員だったがやがてやめる。

1952年(昭和27年)5月、読者からの質問の返答に、この時に初めて縛られたと応えている[2]。相手は不明。

1952年(昭和27年)6月、辻村隆が初めて会う[1]。3度目の縛りで郊外の一軒家で逆さ吊りにされる[3]

1952年(昭和27年)、この年の末に販売していた分譲写真、第三篇、第四篇はほぼ川端多奈子がモデル[4]

1953年(昭和28年)7月、『美しき縛しめ』第1集(構成:美濃村晃、撮影:塚本鉄三)のモデルをしている。

1953年(昭和28年)、奇譚クラブ9月号, グラビアの『縛られた女の美しさ 二女連縛について』で「緊縛担当」をしている。構成:辻村隆、撮影:塚本鉄三、モデル:中富綾子 並川トミ

エピソード

  • 最初の頃の縛りは、実際に縛るのではなく、例えば後ろで縄を手で持ち、後ろで縛りのように見せていた[3]
  • 「写真は全て塚本鉄三が撮影」と述べている[2]
  • 奇譚クラブの読者と結婚したが離婚[5]
  • 辻村隆が1967年(昭和42年)の山本一章との対談で、川端多奈子について「ショックだったのは矢張りなんといっても川端多奈子」「震える手で縛った時の感激は今でも忘れられない」と述べている[6]

関連作品

引用文献

  1. 1.0 1.1 辻村隆『緊縛モデルの素顔』1955年(昭和30年)3月号
  2. 2.0 2.1 矢作生『川端多奈子さんへ』奇譚クラブ1953年(昭和28年)5月号, p81
  3. 3.0 3.1 縛られた女ばかりの座談会奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, p164
  4. 4.0 4.1 覆面子白頭巾『緊縛フオトと緊縛モデル夜話』奇譚クラブ1959年(昭和34年)4月臨時増刊 SADO特集号第2集, p68
  5. 辻村隆「話の屑籠」奇譚クラブ1958年(昭和33年)7月号, p34
  6. 辻村隆辻村隆山本一章対談 緊縛モデル秘奥談義』奇譚クラブ1967年(昭和42年)5月号, p26
  7. 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274

注釈

  1. ただしこれ以前に、分譲フォトでは既に現れていた。

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奇譚クラブのモデル達