帝都座
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かつて新宿にあった総合レジャービル。戦後ストリップの原点とされる『額縁ショー』や、初のSM演劇ともとれる『肉体の門』が公演された。
場所・施設
- 場所は現在の新宿丸井本店。
- 2階・3階に喫茶室「森永キャンデーストア」、地下には銀座のモナミの出店、大食堂「モナミ」があった[2]。
歴史
1931年(昭和6年)、株式会社帝都座が日活映画の封切館として開館[1][注 2]。
1940年(昭和15年)、ダンス禁止令施行に伴い5階のダンスホール閉鎖。新しく吉本興業の演芸場としてオープン。
1946年(昭和21年)頃、5階劇場を新しくレビュー劇場としてオープンすべく準備。指揮は当時株式会社帝都座であった秦豊吉。定員420名。
1947年(昭和22年)1月1日、5階劇場のオープンとして『ヴィナスの誕生』(18景)[注 3]が開幕。15日まで。脚本:佐谷功、構成・振付:益田博[注 4]、ヴィナス役:中村笑子(えみこ)[注 5]。一日3回公演で料金は20円[1]。
1947年(昭和22年)、『額縁ショー』のモデルが中村笑子から甲斐美和[注 6]に変わる。[注 7]
1947年(昭和22年)、第2回公演『ラ・パンテオン』(20景)でルーベンスの「アンドロメダ」の『額縁ショー』で甲斐美和が乳房を見せる。
1947年(昭和22年)9月4日、『東郷青児アルバム』で『額縁』の中からモデルが抜け出し踊るシーン。片岡マリと思われる。他にも原京子が後期に『額縁ショー』に出演。
エピソード
- 額縁ショーで出演したモデルは中村笑子、甲斐美和、片岡マリ、原京子[1]。
- 額縁ショーは『活人画』とも呼ばれた。
参考資料
注釈
- ↑ webでは1932年としているものもある。
- ↑ webでは1932年としているものもある。
- ↑ 唄(中村哲、田千鶴子)と踊りとコントで構成。この中の12景にボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を模した『額縁ショー』が登場。
- ↑ 秦豊吉と共に『額縁ショー』のポーズを決めた。当時は動くことは許されなかった。
- ↑ 本名:松本エミ。当時29歳。銀座のおでん屋に生まれ、日劇ダンシングチーム第一期生。渡米修行の経験有り。戦中は軍隊慰問をおこない、戦後は後輩の指導をおこなっていた。
- ↑ 当時19歳の踊り子。中村は乳房を隠していたようだが、甲斐は乳房を見せる。数秒間のことだったようだ。
- ↑ このキャスト変更が『ヴィナスの誕生』中なのか、あるいは、第2回公演なのか不明。