月岡芳年
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つきおか よしとし、1839年(天保10年)3月17日 - 1892年(明治25年)6月9日
概要
江戸時代末期から明治時代初めに活躍した浮世絵師。1885年(明治18年)に発表した『奥州安達が原ひとつ家の図』は伊藤晴雨などに影響を与えたと言われている。
別名
Yoshitoshi Tsukioka, 吉岡米次郎(本名)、玉桜、大蘇、魁斎
略歴
1885年(明治18年)、『奥州安達が原ひとつ家の図』を発表。逆さ吊りの代表的作品。
2012年(平成24年)10月2日〜11月25日、『没後120年記念 月岡芳年』於:太田記念美術館
エピソード
- 父は旧幕府の御家人[1]。
- 弟子に水野年方。その弟子が鏑木清方。さらにその弟子が伊藤深水。
- 「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていた。
- 伊藤晴雨が『奥州安達が原ひとつ家の図』を参考に妻を吊して写真にする。
- 芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫、江戸川乱歩、横尾忠則が絶賛。
- 伊藤晴雨『其の頃を語る(三) 明治期の被縛画家』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p28で解説されている。
代表作
『奥州安達が原ひとつ家の図』[注 1]