カストリ雑誌時代の奇譚クラブ
きたんくらぶ
概要
『奇譚クラブ』は、1947年(昭和22年)10月25日にA5版のカストリ雑誌として大坂の曙書房から吉田稔によって創刊された。1年後には須磨利之や辻村隆が編集に加わるが、1952年(昭和27年)6月にB5版に変更になるまでの5年間は、基本的にはごく普通のカストリ雑誌や実話雑誌として発行されていた。
発行年・出版社
1947年(昭和22年)10月(11月号)〜1975年(昭和50年)3月。ただしカストリ雑誌時代の奇譚クラブは1947年(昭和22年)11月号〜1952年(昭和27年)4月号、とする。曙書房
発行人・編集人
1947年(昭和22年)11月号〜1951年(昭和26年)11月は吉田稔
1951年(昭和26年)12月〜は箕田京二
主な出来事
1947年(昭和22年)10月25日(11月号)[注 1][注 2][注 3]、B5版のカストリ雑誌として出版。出版元は曙書房。
1947年(昭和22年)12月号、『変態奇人号』で既に変態志向の兆し。
1948年(昭和23年)3月20日、通巻第5号。中綴じ35ページで22円。保利竜平『ソドミイの壺』(挿絵:南陽二)、杉山清詩『パンパンガール殺人事件』(挿絵:紫荘児)など。「会員通信」が送られる会員募集の公告が。裏表紙は「Kitan Clab」とミススペルのまま。
1948年(昭和23年)5月20日、通巻第7号。中綴じ35ページで25円。杉山清詩『閨房殺人事件』など。まだ須磨利之の痕跡は見いだせない。
1948年(昭和23年)10月15日、『爽秋讀切傑作號』通巻第9号。51ページで40円。表紙は須磨利之。邦枝完二『圍い者』の挿絵が柴谷宰二郎。大谷冽『平和荘綺譚第一話 彼女は驚きぬ』の挿絵が須磨利之(TOSHIYUKIとサイン)。杉山清詩『青空晴子探偵シリーズ 鯰に魅入られた男』の挿絵が須磨利之(としゆきとサイン)。住田恭平『嘆きのイヴ』の挿絵が須磨利之。他の挿絵画家として上原正夫、清原康、黒石光、笹岡一夫、岡田利久の名が。信土寒郎の名前であちこちにコメントのような文が掲載されている。編集後記に「姉妹雑誌『譚界』」の予告。
1949年(昭和24年)1月5日、『競艶力作特集號』通巻第10号。53ページで40円。表紙は須磨利之。グラビアに須磨利之の三色刷イラスト。挿絵画家として司馬湲(絵のサインはSHIBATANI)、笹岡三千雄、笹岡武二、清原康、左脇不二夫、田中比呂志、すまとしゆき、須磨としゆきの名が。
1949年(昭和24年)、1月と4月に別冊奇譚クラブ を出版している。4月の『別冊奇譚クラブ 第七天國探訪記』には須磨利之名などで多数の須磨利之の挿絵があり須磨利之が全面的に製作に関わっていたことを示唆する[注 4]。
1949年(昭和24年)2月25日、『珍談奇聞讀物集』通巻第11号。53ページで45円。表紙は須磨利之(サインはT・S)。杉山清詩『馬鹿につける薬』(挿絵:須磨としゆき)や信土寒郎『二十の扉異聞』など。挿絵画家として他に笹岡武二、佐々岡武二、佐脇ふじ、明石三平の名が。
1949年(昭和24年)7月5日、第3巻第7号。53ページで50円。表紙は須磨利之(サインはsuma)。信土寒郎『奇譚百話 都会の溜息』(挿絵:明石三平)。挿絵画家として他に柴谷宰二郎、園登美、不二木一、赤坂幸太、紺野登志の名が。編集後記に黒岩、住田、小峯の名前。
1949年(昭和24年)9月15日、第3巻第8号。55ページで50円。表紙は須磨利之(サインはSosei)。表表紙裏に「ルポ 夜のTOBITA」でヌード写真掲載。絹川雪夫・撮映とある。裏表紙がこの説明で文・高村暢児、絵・㐂夛玲子。園田光『女への復習』(挿絵:喜多玲子)、高村暢児『ああ引揚に涙あり』(挿絵:柴谷宰二郎)など。挿絵画家として他に灘みどり、笹岡武二、佐脇ふじなどの名が。裏表紙の裏に「五萬圓懸賞」の募集広告。
1949年(昭和24年)、10月15日発行の奇譚クラブの表紙に「玲」のサイン。
1950年(昭和25年)、10月号の片屋薫『女学生の私刑』、緑猛比古『女侠道中』の挿絵を須磨利之が描いている[1]。
1951年(昭和26年)、1月号から月刊化[注 5]。
1951年(昭和26年)、辻村隆が積極的に関わる。1951年1月号に辻村隆の名で執筆。
1951年(昭和26年)7月、辻村隆や吉田稔がヌード写真の撮影。奇譚クラブ1952年の1月号に掲載されている[2]。
エピソード
引用文献
注釈
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つながり
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