さはら きせ, 1893-5年(明治26-8年)頃?
概要
別名
佐原帰世子
略歴
1893-5年(明治26-8年)頃、生まれる[1]。
1919年(大正8年)、伊藤晴雨と結婚[1][注 1]。
1919年(大正8年)12月、伊藤晴雨が自宅の庭で雪責めの写真。カメラマンは有賀[1][注 2]。
1920年(大正9年)秋、伊藤晴雨が佐原キセをモデルに最初の吊りの試み[2]。
1921年(大正10年)6月、伊藤晴雨が妊娠していた佐原キセをモデルに『臨月の夫人の逆さ吊り写真』を撮影[2]。
1926年(大正15年)、變態資料12月25日号に『臨月の夫人の逆さ吊り写真』が無断掲載[2]。
トピック
- 伊藤晴雨と結婚した頃、伊藤晴雨が看板を描いていた開盛座の女役者をしていたという記述[1]と、「谷中の宮崎幾之助の紹介で、一日八十銭の日給で通っていた」日雇いのモデル、という記述[2]がある。
関連作品
引用文献
注釈
- ↑ 後に浮気をして晴雨のもとを去る。
- ↑ この作品の一部は後に斎藤昌三の『』で発表される。
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つながり
伊藤晴雨