川口劇場

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概要

昭和40年代、川口が鋳物の町として栄えた時に全盛期を迎えたストリップ劇場。『川口劇場』『川口DX劇場』『川口ニューDX劇場』と名前を変えた。ある時期、モダンアート大宮DX劇場と同じ経営下に入り、川上譲治が新しい企画のショーを演出した。

歴史

川口劇場として中田が経営。やがてモダンアートのオーナーの萩原に営業権を譲渡し、川口DX劇場として再スタート[1][注 1]

1963年(昭和38年)12月、『実話と秘録』12月号の「全スト地帯日本縦断報告」に川口劇場として名前が掲載。

1978年(昭和53年)11月、警察の手入れを受け、支配人が逮捕。続いてオーナーが逮捕。これを受け川口DX劇場が支配人の代わりに大宮DX劇場から転勤してくる[1]

1978年(昭和53年)12月、名義社長の団の病死に伴い名称を「川口ニューDX劇場」に改名。翌年1月に新装オープン。

1979年(昭和54年)1月、オーナーによる「脱マナ板ショー」宣言[1]

所在地

埼玉県川口市本町通3-16 (川口劇場)

川口市車町 (川口DX劇場)

最初は川口駅よりの交番前にあったが、後に大蔵映画館隣のボウリング場後に移転[1]

トピックス

ギャラリー

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 川上譲治さらばストリップ屋』(朝日新聞社, 1988)

注釈

  1. 最初の名義社長は「団」。支配人「成川」

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つながり

ストリップ劇場