松本靖夫
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まつもと やすお、19xx年(昭和xx年)-
概要
仕掛人。事業家。
略歴
1952年(昭和27年)3月17日、生まれる[1]
1970年代、ゲーム関係の商売が成功[1]
1979年(昭和54年)頃、ゲーム機の輸入・販売をおこなうユニオンゲーム株式会社を設立[1]
1980年(昭和55年)代、レーヌ、アマン、ブルーシャトーなどで遊ぶ[1]
1980年(昭和55年)頃、SAMMの初期の会員となる[1]
1984年(昭和59年)頃、西池袋にSMクラブ『グリーン企画』をオープン[1]
1985年頃、『グリーン企画』主催として池袋西口にあった知人経営のパブの開店前を借り第1回目となる高木常吉によるSMショーを開催[1]。
1985年頃、『グリーン企画』から手を引き、グリーン企画は他の人が代表に[1]
1987年(昭和62年)、ユニオンゲーム株式会社を株式会社藤宝に社名変更
1987年(昭和62年)、萌万里子をママにしてSMクラブ『目黒ルビ』をオープン
1988年(昭和63年)[1]、SMクラブ『錦糸町アリス』をオープン
1989年(平成元年)[1]、SMクラブ『錦糸町セリーヌ』をオープン
1991年(平成3年)、西池袋のオリエント池袋9Fに長谷川を店長にSMクラブ池袋WAVEをオープン[1]
1991年(平成3年)[1]、長谷川を店長に新小岩WAVEをオープン。
エピソード
- カードによる支払い、領主書の発行などをSMクラブとして、いち早く導入[1]。
- 不動産金融を目的として設立した株式会社トーホープランニンは松本靖夫の妻が代表[1]。
- 「私は一晩寝ないで募集の文案を考えたのです、するとすごい勢いにて女性の面接が来るのです、女性は皆さんフアッションヘルスからが大多数でして、一度に5人まとめて面接に来た事もありました。」[1]。