テンプレート:紅乱

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S&Mスナイパー1988年(昭和63年)3月『北原ちあきが探るNEW SM GALS LIFE 第15回』で取り上げられている奴隷契約書所属の女王様としての紅乱
二代目葵マリーSMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号より。
二代目葵マリーSMスピリッツ1988年(昭和63年)8月号より。
S&Mスナイパー1990年(平成2年)1月号の奴隷契約書の広告。左は二代目葵マリーこと紅乱

にだいめあおいまりー

概要

1988年(昭和63年)頃、半年ほど活動していたミストレス。

別名

二代目葵マリー 紅乱

略歴

1987年(昭和62年)11月、マニア倶楽部11月号に奴隷契約書のオープン記事。ママ女王様として紅乱(くれない らん)が紹介されている。

1987年(昭和62年)12月、S&Mスナイパー12月号に奴隷契約書所属のM女としての写真が掲載。

1988年(昭和63年)3月、S&Mスナイパー3月号の『北原ちあきが探るNEW SM GALS LIFE 第15回』に奴隷契約書所属の女王様として紹介されている。

1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[1]。中野店は中野クィーンのビルの3F[2]

1989年(平成2年)頃、奴隷契約書二代目葵マリーこと紅乱が中心。月に一度アルファ・インでSMショーを開催[3]

エピソード

  • 「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた・・・初代と私が逮捕されている間に(2000)・・逃げちゃった」[4]

代表作

引用文献

  1. SMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号
  2. SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号
  3. S&Mスナイパー1990年(平成2年)1月号
  4. 波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号

注釈

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