猟奇
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『猟奇』(りょうき)は、1946年(昭和21年)10月に創刊された代表的なカストリ雑誌の1つ。
概要
1946年(昭和21年)秋から1年に満たない間、わずか5号しか発刊されなかったが、第2号が摘発されるなど、その後のカストリ雑誌の方向性を決めることとなる重要な雑誌と位置づけられている。廃刊後に文藝市場社が復刊している。
発行年・出版社
1946年(昭和21年)10月15日[1]〜1947年(昭和22年)6月、茜書房
発行人・編集人
編集・発行人:加藤幸男
主な出来事
1946年(昭和21年)10月、創刊第1号発刊。
1946年(昭和21年)12月、第2号発刊。梅原北明『ペテン商法』が掲載。
1947年(昭和22年)1月9日、1946年(昭和21年)12月号(通巻2号)が公然わいせつ罪で摘発。対象は北川千代三の「H大佐夫人」と宮永志津夫「王朝の好色と滑稽譚」[注 1][2][1]。
1947年(昭和22年)1月、第3号発刊。
1947年(昭和22年)5月、第4号発刊。ヌード写真風挿絵が表紙。伊藤晴雨の『虐げられたる日本婦人』、斎藤昌三『げて本談義』など。
1947年(昭和22年)6月、第5号発刊。「廃刊決定」が述べられている[1]。
1947年(昭和22年)10月、文藝市場社より『猟奇 秋季読物号』が刊行。
エピソード
- 創刊号は50ページで10円[1]。第4号は50ページで15円。
- エロを論じるに当たり、民族的知識を披露しながら展開するといった、戦前の『犯罪科学』『グロテスク』の手法を踏襲し、その後のカストリ雑誌のプロトタイプを作った[1]。
- 廃刊後、『人人』『猟奇(大阪)』へとつながる。
- 『猟奇倶楽部』1949年(昭和24年)創刊。光楽書房。
- 『別冊猟奇』1949年(昭和24年)創刊。人間館。
- 『オール猟奇』『猟奇ゼミナール』『猟奇読物』などの猟奇ブームを生む。
- 第4号「編集後記」には「本號をご覧下さつた方には、お判りの事と存ずますが、決して本誌は有害無益な悪書ではない。世の中の識者と云へる方々にお願ひしたい事は、島國特有の小姑的固執性で讀んでいただきたくない。」「日本の現在迄の文化とは『椿姫』『ナナ』『モーパッサン全集』等々を發禁處分にした文化でした、この爲秘密出版では世界的文化(?)國家になつてしまつたのです。」「本誌を存續することが、良いか悪いか讀者諸氏の忌憚の無い投書をお願ひ申します。」とある。
引用文献
注釈
- ↑ 発禁号は闇市で200円で取引されていた。