人肉の市
概要
ノルウェーの作家Elisabeth Schøyen[注 1]の『白女奴隷』を窪田十一が1921年(大正10年)に大日本雄弁会講談社から翻訳出版したベストセラー作品。伊藤晴雨は「現代の被縛文芸の先駆けを為すもの」と評価している[1]。曾我廼家五九郎は観音劇場で舞台化しており、松竹キネマから映画化もされている。
別名
「白女奴隷」、「Den hvide Slavinde」(デンマーク語)、「Die Weiße Sklavin」「Weiße Sklaven」(ドイツ語)、「L’Esclave blanche」(フランス語)
歴史
1905年(明治38年)、ノルウェーの作家Elisabeth Schøyen[注 1]が『Den hvide Slavinde』を発表。
1907年(明治40年)1月12日、『Den hvide Slavinde』がデンマークで無声映画化される。
1910年(明治43年)4月11日、『Den hvide slavehandel』がデンマークのFotorama社から無声映画化される。
1910年(明治43年)8月2日、『Den hvide slavehandel』がデンマークデンマークのNordisk Film社から無声映画化される。
1911年(明治44年)、『Den hvide slavehandels sidste offer』がデンマークデンマークのNordisk Film社から無声映画化される。監督:August Blom。
1919年(大正8年)、Elisabeth Schøyenが『Den hvide slavehandel(白人奴隷貿易)』を発表。
1921年(大正10年)、『現代』(大日本雄弁会)1月号〜5月号に、窪田十一『人肉の市』が連載。挿絵は高畠華宵
1921年(大正10年)11月20日、窪田十一『人肉の市』(大日本雄弁会)が単行本化。挿絵・装幀は高畠華宵
1923年(大正12年)6月15日、無声映画『人肉の市』が浅草松竹館で公開。
1920年代?、浅草観音劇場で曾我廼家五九郎が『人肉の市』を舞台化[1]。
1927年(昭和2年)、ドイツで『The White Slave Die Weisse Sklavin』として映画化。東亜キネマを配給元に日本でも公開された模様。
1937年(昭和12年)1月、ドイツで『Weiße Sklaven. Panzerkreuzer Sewastopol 』と題した映画。
1938年(昭和13年)、フランスで『L’Esclave blanche』と題したコメディ映画。内容はトルコで生活するフランス婦人の物語。
1969年(昭和44年)1月、プロダクション鷹により『人肉の市』と題した映画が作られているが関係は不明。監督:木俣堯喬、出演;芦川絵理。
歴史背景
1830年代、「白人奴隷貿易(white slave trade)」という言葉が生まれる。
1875年(明治8年)、英国で白人奴隷貿易の対象年齢が12才から13才に引き上げ。
1885年(明治18年)、英国で白人奴隷貿易の対象年齢が13才から16才に引き上げ。
1888年(明治21年)、フランス人画家 Jean Lecomte du Noüyが 『L’Esclave blanche(白女奴隷)』という絵を描いているが、作品年からみて無関係であろう。
小説『Den hvide Slavinde』
1905年(明治38年)、Elisabeth Schøyenがデンマーク語で『Den hvide Slavinde』を発表。意味は「白い女性奴隷」。Margaretha Meijboomによりドイツ語に翻訳される(確認中)。
映画『Den hvide Slavinde』
- 1907年(明治40年)1月12日、The Great Northern Company[注 2]、により『Den hvide Slavinde』としてデンマークで無声映画化。監督:Viggo Larsen[注 3]、脚本:Arnold Richard Nielsen、出演:Gerda Jensen、Viggo Larsen、Gustave Lund。
- 別名「Valkoinen orja」との記述あり。
- 7-8分の短い作品。
Fotorama社版映画『Den hvide slavehandel』
- 1910年(明治43年)4月11日にデンマークのFotorama社から無声映画化。
- 制作:Th. S. Hermansen、監督:Alfred Cohn、脚本:Louis Schmidt、撮影:Alfred Lind、出演:Christel Holch、Kai Lind、Gunnar Helsengreen、Maja Bjerre-Lind、Peter Kjær
Nordisk Film社版映画『Den hvide slavehandel』
1910年(明治43年)8月2日にデンマークデンマークのNordisk Film社から無声映画化される。
- Fotorama社の完全なパクリ作品だったようだ
- 制作:Århus Fotorama company、監督:August Blom、出演:Ellen Diedrich, Victor Fabian, Julie Henriksen。この映画のあらすじは、『人肉の市』と同一である。
- 45分の長編作品。
映画『Den hvide slavehandels sidste offer』
1911年(明治44年)、『Den hvide slavehandels sidste offer』がデンマークデンマークのNordisk Film社から無声映画化される。監督:August Blom。
小説『Den hvide Slavehandel』
1919年(大正8年)、Elisabeth Schøyenがデンマーク語で『Den hvide Slavehandel』を発表した様子[2]。意味は「白い奴隷貿易」。
小説『人肉の市』
- 1921年(大正10年)に、大日本雄弁会から、まず『現代』1月号〜5月号に連載された。翻訳は窪田十一、挿絵は高畠華宵。その後11月には単行本化されている。
- 原本はElisabeth Schøyenのデンマーク版ではなく、ドイツ語翻訳版である。書籍の冒頭には「エリザベートtぽシューエン女子著『二〇世紀の恥辱、白き女奴隷』と題する大正八年出版、獨書を譚したものである。原著は各國語に翻譚せられ到所に、歓迎されて居る非常に面白い小説である。」とある。
- 書籍冒頭に「総合独逸婦人協会幹事」のAnna Pappritzと、「女子売買国際防止国家委員会」のJ. A. Wagnerの序説が原文つき和訳で掲載されている。ドイツ語版についていたものと思われる。Anna Pappritzは「奴隷制度廃止論者」としてWikipediaに記載されている。
映画『人肉の市』
- 1923年(大正12年)6月15日に浅草松竹館で公開。無声映画。製作:松竹キネマ(蒲田撮影所)、監督:島津保次郎、脚色:武田晃、原作:エリザベート・シェーマン 「白女奴隷」、翻訳:窪田十一、撮影:桑原昴、出演:五月信子 磯野平次郎 二葉かほる 久保田久雄 米津信子 米津左喜子 吉村秀也 野寺正一 三浦しげ子 奈良真養 高山晃 武田春郎 野平次郎 堀川浪之助
- 舞台は中国に設定されているようだ。
- 「三浦しげ子」は新劇女優の「伊沢蘭奢」
映画『Die Weisse Sklavin』
- 1927年(昭和2年)9月22日にドイツで映画化。
- 監督:Augusto Genina、脚本:Norbert Falk, Augusto Genina、出演:Liane Haid, Vladimir Gajdarov, Harry Hardt, Charles Vanel, Renée Héribel, Anatol Potock
- 東亜キネマを配給元に日本でも『人肉の市』として公開された。
- "A Escrava Branca"としてポルトガルで、"Beyaz esire"としてトルコで、“Esclave blanche”としてフランスで、"I lefki sklava"としてギリシャで、"L'esclave Blanche"としてカナダで、“La esclava blanca”としてスペインで、"The White Slave"として米国で公開。
- 96分の無声映画。
あらすじ
デンマークコペンハーゲンの郊外に退職陸軍少佐の娘アルマが両親の死後祖母と二人暮らして居る中オルヴィル・コックスと云う男に瞞され死児を生んだが、世間の噂に耐えず、ロンドンの親戚へ行く途中、船中でダブレー夫人とその甥と称するハリー・スモーレーと同室と成り、ハリーの甘言に乗せられて上陸したら結婚する約束を結んだが、上陸後彼女は麻酔剤を飲ませられ、それから覚めると、自分が秘密の家の密室に監禁されて居るのを発見して驚いた。彼女の寝室へガルウィック侯爵が入って来たが、彼女は抵抗して逃れる。しかし長い間絶食と拷問に会った挙げ句遂にインドの王に操を破られる。彼女は後船医ギャレリーに救われたが、船医の航海中コックス夫人一味は偽電でアルマを瞞し、彼女はトルコの婦人部屋へ売られようとしたが、ガルウィック侯爵は彼女を救い出す。やがて侯爵の力で婦人部屋に囚われて居た不仕合せの女達を自由にし、悪人は捕らえられ、アルマは侯爵の胸に抱かれる。(goo映画より)
その他
- 1957年(昭和32年)10月11日、ドイツ=イタリア映画『Liane - die weiße Sklavin』が製作。このポスターのデンマーク版(と推察される)にあ『Den hvide Slavinde』というタイトルがつけられているようだ[注 4]