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1888年(明治21年)、久富鉄太郎 『'''警官必携拳法図解'''』に捕縄の掛け方のイラスト。
1888年(明治21年)、久富鉄太郎 『'''警官必携拳法図解'''』に捕縄の掛け方のイラスト。


1962年(昭和37年)2月、[[裏窓]]に[[名和弓雄]]『'''日本拷問史 一'''』が連載開始。
1962年(昭和37年)2月、[[裏窓]]に[[名和弓雄]]『'''日本拷問史 一'''』が連載開始。この頃から江戸時代に拷問や刑罰に興味が集まる。その流れで捕縄にも言及のある記事が増える。


1964年(昭和39年)10月27日、[[小森白]]関東の『'''[[日本拷問刑罰史]]'''』が公開。
1964年(昭和39年)10月27日、[[小森白]]関東の『'''[[日本拷問刑罰史]]'''』が公開。この頃からエロチックな責め場を売りにした映画作品が増える。江戸時代の設定が多いため、時代考証などにSM関係者が関わる機会も増えた模様。


1970年(昭和45年)、[[辻村隆]]が篠田正浩『沈黙』での[[早縄]]シーンに関して助言<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1971年(昭和46年)1月号の[[辻村隆]] [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197101/197101_084.html p237] 「サロン楽我記」によると、「大映撮影所から電話がかかり」「『沈黙』の緊縛指導にご協力願いたい」「篠田監督に紹介され」「キシリタンが捕吏に捕らえられる際の早縄の掛け方」を「捕吏になる俳優さんにご披露」とある。ところが、[[奇譚クラブ]]1971年(昭和46年)2月号の[[辻村隆]] [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197102/03/232.html p234] 「サロン楽我記」には、「資金繰りがつかず製作中止」「岩下志麻さんらと相まみえる機会も遂になくした」とある。</ref>。
1970年(昭和45年)、[[辻村隆]]が篠田正浩『沈黙』での[[早縄]]シーンに関して助言<ref group="注">[[奇譚クラブ]]1971年(昭和46年)1月号の[[辻村隆]] [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197101/197101_084.html p237] 「サロン楽我記」によると、「大映撮影所から電話がかかり」「『沈黙』の緊縛指導にご協力願いたい」「篠田監督に紹介され」「キシリタンが捕吏に捕らえられる際の早縄の掛け方」を「捕吏になる俳優さんにご披露」とある。ところが、[[奇譚クラブ]]1971年(昭和46年)2月号の[[辻村隆]] [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197102/03/232.html p234] 「サロン楽我記」には、「資金繰りがつかず製作中止」「岩下志麻さんらと相まみえる機会も遂になくした」とある。</ref>。


1980年代中頃、この頃[[濡木痴夢男]]がが熱心に[[捕縄術]]を研究していた模様。
1980年代中頃、この頃[[濡木痴夢男]]がが熱心に[[捕縄術]]を研究していた模様。[[濡木痴夢男]]の[[緊縛教材(印刷物)]]にも多くの[[捕縄術]]緊縛が登場。


1987年(昭和62年)12月20日、[[名和弓雄]]『'''[[拷問刑罰史]]'''』が出版。捕縄についても解説。
1987年(昭和62年)12月20日、[[名和弓雄]]『'''[[拷問刑罰史]]'''』が出版。捕縄についても解説。
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1995年(平成7年)、[[志摩紫光]]がビデオ『'''[[縛りと責めのテクニック1 女囚古縛]]'''』を製作。
1995年(平成7年)、[[志摩紫光]]がビデオ『'''[[縛りと責めのテクニック1 女囚古縛]]'''』を製作。


1990年代後半、この頃[[明智伝鬼]]がが熱心に[[捕縄術]]を研究していた模様。
1990年代後半、この頃[[明智伝鬼]]がが熱心に[[捕縄術]]を研究していた模様。「[[渡し縄]]」の再現が有名。


2011年(平成23年)6月1日、[[板津和彦]]『'''[https://amzn.to/37rGncN 一達流捕縄術]'''』が出版。
2011年(平成23年)6月1日、[[板津和彦]]『'''[https://amzn.to/37rGncN 一達流捕縄術]'''』が出版。

2020年12月2日 (水) 15:14時点における版

1530年(天文)頃、この頃に確立した武術、「武内流」が捕縄術の始まりではないかと板津安彦は推察している[1]

1700年(延享)、徳川吉宗の命により柳生流・亀井孫六重村が各藩伝来の十手術・捕縄術を抜粋し『江戸町方十手術』をまとめる。捕縄術は『江戸町方本縄扱様』『江戸町方早縄扱様』とされた[1]

1871年(明治4年)、司法省警保寮が創設。

1879年(明治12年)、『茨城県警吏必携』に「捕縛」に関する通知が。

1888年(明治21年)、久富鉄太郎 『警官必携拳法図解』に捕縄の掛け方のイラスト。

1962年(昭和37年)2月、裏窓名和弓雄日本拷問史 一』が連載開始。この頃から江戸時代に拷問や刑罰に興味が集まる。その流れで捕縄にも言及のある記事が増える。

1964年(昭和39年)10月27日、小森白関東の『日本拷問刑罰史』が公開。この頃からエロチックな責め場を売りにした映画作品が増える。江戸時代の設定が多いため、時代考証などにSM関係者が関わる機会も増えた模様。

1970年(昭和45年)、辻村隆が篠田正浩『沈黙』での早縄シーンに関して助言[注 1]

1980年代中頃、この頃濡木痴夢男がが熱心に捕縄術を研究していた模様。濡木痴夢男緊縛教材(印刷物)にも多くの捕縄術緊縛が登場。

1987年(昭和62年)12月20日、名和弓雄拷問刑罰史』が出版。捕縄についても解説。

1992年(平成4年)9月15日、板津安彦与力・同心・十手捕縄』が出版。

1995年(平成7年)9月28日、藤田西湖図解捕縄術』が出版。

1995年(平成7年)、志摩紫光がビデオ『縛りと責めのテクニック1 女囚古縛』を製作。

1990年代後半、この頃明智伝鬼がが熱心に捕縄術を研究していた模様。「渡し縄」の再現が有名。

2011年(平成23年)6月1日、板津和彦一達流捕縄術』が出版。

  1. 1.0 1.1 板津安彦与力・同心・十手捕縄』(新人物往来者, 1992)


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