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'''なまえ'''
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1968年(昭和43年)、新装開館、総工費1800万円、450人収容<ref name="#12593140794"></ref>。
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1969年(昭和44年)8月頃、[[木川ヌードショー劇場]]にて「映画「'''徳川女刑罰史'''」の一場面『'''処刑'''』。出演:[[忍好子]]。構成:[[関五郎]]<ref>週刊ファイト1969年(昭和44年)8月25日号広告より</ref>。
1969年(昭和44年)8月頃、[[木川ヌードショー劇場]]にて映画「'''徳川女刑罰史'''」の一場面『'''処刑'''』。出演:[[忍好子]]。構成:[[関五郎]]<ref>週刊ファイト1969年(昭和44年)8月25日号広告より</ref>。


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2020年4月29日 (水) 10:34時点における版

木川ヌードショー劇場にて映画「徳川女刑罰史」の一場面『処刑』。出演:忍好子。構成:関五郎[1]

なまえ

概要

別名

木川劇場 十三ミュージック 木川ヌードショー劇場

所在地

大阪府 大阪市 淀川区 十三東3-4-29[2]

歴史

1958年(昭和33年)、開館[3]

1968年(昭和43年)、新装開館、総工費1800万円、450人収容[3]

1969年(昭和44年)8月頃、木川ヌードショー劇場にて映画「徳川女刑罰史」の一場面『処刑』。出演:忍好子。構成:関五郎[4]

1979年(昭和54年)5月末、閉館[3]

1979年(昭和54年)6月21日、十三ミュージックに改称して再オープン[2]。杮落しの当日淀川署の手入れ[3]

2012年(平成24年)11月28日、閉館[2]

2013年(平成25年)4月1日、大宗演劇の劇場として木川劇場が復活[2]

エピソード

引用文献

  1. 週刊ファイト1969年(昭和44年)8月25日号広告より
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 @劇ジェロNOW
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 cobanobuのブログ「木川劇場」
  4. 週刊ファイト1969年(昭和44年)8月25日号広告より

注釈

お役たちweb

つながり

ストリップ ストリップ劇場