「ロマン派生」の版間の差分

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==代表作==
==代表作==
===[[緊縛教材(印刷物)]]===
*[[ロマン派生]]『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(1)』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197007/197007_051.html p245]
*[[ロマン派生]]『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(1)』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)7月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197007/197007_051.html p245]
*[[ロマン派生]]『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(2)』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197008/197008_067.html p231]
*[[ロマン派生]]『奇クサロン:我が主観 縛りの美学(2)』[[奇譚クラブ]]1970年(昭和45年)8月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1970/197008/197008_067.html p231]
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*(グラビア)[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)6月号
*(グラビア)[[サンアンドムーン]]1978年(昭和53年)6月号
*[[ロマン派生]]『沢田多恵の青春彷徨』[[復刊奇譚クラブ]]1982年(昭和57年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1980/198204/02/104.html p104]
*[[ロマン派生]]『沢田多恵の青春彷徨』[[復刊奇譚クラブ]]1982年(昭和57年)4月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1980/198204/02/104.html p104]
===[[緊縛教材]](ビデオ)===
*『'''[[ロマン派生]]の縛りのテクニック'''』(坂本企画, 1982)


== 引用文献==
== 引用文献==

2016年7月12日 (火) 15:51時点における版

ロマン派生による縛り。サンアンドムーン1978年(昭和53年)6月号より。

ろまんはせい、1930年(昭和5年)前後?[1]-。1970年代の「奇譚クラブ」に『縛りの美学』などを連載していた関東のSMマニア。「SUN&MOON」などにも寄稿。

概要

緊縛師。東京在住[注 1]の医療関係の[2]SMマニアで奇譚クラブに投稿をしていた。

別名

略歴

1982年(昭和57年)、SMバーバレラ第3号に『ロマン派生の縛りのテクニック』のビデオの宣伝。「緊縛美を探究して20年のキャリアを持つ」と紹介。京都の「坂本企画」から。

エピソード

  • 浦戸宏が「山本は単独プレイ派、ロマン派生は複数プレイは、それに早坂信治派と、マイナーな鈴井是雄、村上信也などがいる」と説明[3]

代表作

緊縛教材(印刷物)

緊縛教材(ビデオ)

引用文献

  1. 浦戸宏、私信 to A
  2. 辻村隆『SMカメラハント 特訓プレイ妻 佐野みさ子の巻』奇譚クラブ1972年(昭和47年)12月号
  3. SUN&MOON1978年(昭和53年)8,9月号

注釈

  1. 奇譚クラブ1974年(昭和49年)10月号, p266には「名古屋ロマン派生」という読者投稿がある。

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