「Bizarre」の版間の差分
提供:SMpedia
(→主な出来事) |
(→エピソード) |
||
29行目: | 29行目: | ||
*ヌードは登場しない。「蜂の胴」「ポニーガール」が好きなテーマ。 | *ヌードは登場しない。「蜂の胴」「ポニーガール」が好きなテーマ。 | ||
* [[Fakir Musafar]]が『Ibitoe』などを寄稿していた<ref name="Wiki"></ref>。 | * [[Fakir Musafar]]が『Ibitoe』などを寄稿していた<ref name="Wiki"></ref>。 | ||
*[[Irving Klaw]], [[ | *[[Irving Klaw]], [[Eric Stanton]], ENEGらがBizarre magazineから生まれたという表記がしばしば見受けられるが未確認。 | ||
*最後の方で、出版を[[Irving Klaw]]にまかせてイギリスに戻ったという表記がしばしば見受けられるが未確認。 | *最後の方で、出版を[[Irving Klaw]]にまかせてイギリスに戻ったという表記がしばしば見受けられるが未確認。 | ||
*投稿されたウィリーの妻の告白文がでっち上げであると告訴とされたとある[http://ameblo.jp/megmi123/entry-10473266298.html]。 | *投稿されたウィリーの妻の告白文がでっち上げであると告訴とされたとある[http://ameblo.jp/megmi123/entry-10473266298.html]。 |
2010年4月1日 (木) 22:28時点における版
『Bizarre magazine』は、1946-1959年米国でJohn Willieにより発行されたBondage 雑誌。
概要
発行年・出版社
発行人・編集人
主な出来事
1946年(昭和21年)、John Willieにより創刊。
1946年(昭和21年)、No.3から緊縛写真が。Learn Jiu-Jitsu。
1952年(昭和27年)、No.11にやや複雑な縛りが。
1954年(昭和29年)、No.14のカバーはBettie Page
1957年(昭和32年)、John Willieの秘書に所有権が委譲[1]。John Willieはロサンジェルスに移る[2]。
No.21にFakir MusafarがIBITOEについて寄稿。
No.25にHogtieに近い縛りが。
1959年(昭和34年)、26号で終刊[2]。
エピソード
- 郵送でのみ入手可能で、手書きの絵が用いられていた。John Willieがほとんどすべての作品を書いていた[1]。
- ヌードは登場しない。「蜂の胴」「ポニーガール」が好きなテーマ。
- Fakir Musafarが『Ibitoe』などを寄稿していた[1]。
- Irving Klaw, Eric Stanton, ENEGらがBizarre magazineから生まれたという表記がしばしば見受けられるが未確認。
- 最後の方で、出版をIrving Klawにまかせてイギリスに戻ったという表記がしばしば見受けられるが未確認。
- 投稿されたウィリーの妻の告白文がでっち上げであると告訴とされたとある[1]。
- 2005年(平成17年)にTaschen社から『The Complete Bizarre Reprint for Slaves of Fashion』が発刊されている。
- John Willieの代表作であるボンデージ・コミックの元祖、「スウィート・グウェンドリン(Sweet Gwendoline)」はBizarre magazineで誕生している[1]。
- 2005年にEric Kroll がTaschen社から『The Complete Bizarre Reprint for Slaves of Fashion』が出版された。