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新宿円外ミュージック 深井演出、藤見作、劇団21世紀 | 新宿円外ミュージック 深井演出、藤見作、劇団21世紀 | ||
== 青年時代 == | |||
浅草 観音劇場 宮古座座 | |||
東舞」のことは、昭和二十八年(一九五三年)実績のある重厚な出版社から発行された「芸能辞典」に記録されている。 | |||
常に「児童に観せるための高度の芸術性の追求や、その演劇ジャンルの探究」をモットーとして、過去二十五年の苦難の歴史を持つものは、ひとり劇団「東舞」あるのみである。劇団「東舞」は、昭和三年五月、宮津博・芝田圭一らによって創立され、第一回公演「恩を忘れた獅子」をもって、東京小石川御殿クラブにデビューした。同五年、第七回公演「狐の裁判」を早稲田大隈講堂進出の第一歩をふみ、これが童話劇確立への第一歩でもあった。 | |||
東舞=劇団東童 | |||
「子供会活動から出発し、1928年(昭和3)劇詩人宮津博を中心に「児童演劇における健康なロマンチシズムを内包する演劇のリアリズム演劇の確立」を目指して発足、劇団東童として親しまれた。子供を主体として大人の俳優が参与するという創作活動と、共同生活体験を基本にし個性の発見を重視する訓練システムは、子供らしい自由な演技を引きだした。そこから生まれた『風の又三郎』『ピーターパン』などのユニークな舞台は、昭和前期の児童演劇史に大きな足跡を残した。65年(昭和40)以後活動を停止している」 |
2010年3月9日 (火) 10:19時点における版
サスペンスマガジンのシナリオ
68年10月『魔性の夜』 新宿、渋谷の地球座で8月27日初日とある。劇団炎、青木マリ、水咲陽子
68年11月『裏切りの肌』
68年12月『魔性の女』
69年1月『魔性の肌』 劇団炎台本。12月3日〜9日、渋谷新宿の地球座で上演。先月号の『魔性の女』は12月31日〜1月6日までの予定。
69年3月『魔性の港』
69年4月『魔性の港』実演風景
69年5月『魔性の戯れ』
資料館のシナリオ台本
『闇の中の魔女』
『魔性の港』浜健作演出
『変態悪徳医』劇団21世紀
資料館の写真
新宿円外ミュージック 深井演出、藤見作、劇団21世紀
青年時代
浅草 観音劇場 宮古座座
東舞」のことは、昭和二十八年(一九五三年)実績のある重厚な出版社から発行された「芸能辞典」に記録されている。
常に「児童に観せるための高度の芸術性の追求や、その演劇ジャンルの探究」をモットーとして、過去二十五年の苦難の歴史を持つものは、ひとり劇団「東舞」あるのみである。劇団「東舞」は、昭和三年五月、宮津博・芝田圭一らによって創立され、第一回公演「恩を忘れた獅子」をもって、東京小石川御殿クラブにデビューした。同五年、第七回公演「狐の裁判」を早稲田大隈講堂進出の第一歩をふみ、これが童話劇確立への第一歩でもあった。
東舞=劇団東童
「子供会活動から出発し、1928年(昭和3)劇詩人宮津博を中心に「児童演劇における健康なロマンチシズムを内包する演劇のリアリズム演劇の確立」を目指して発足、劇団東童として親しまれた。子供を主体として大人の俳優が参与するという創作活動と、共同生活体験を基本にし個性の発見を重視する訓練システムは、子供らしい自由な演技を引きだした。そこから生まれた『風の又三郎』『ピーターパン』などのユニークな舞台は、昭和前期の児童演劇史に大きな足跡を残した。65年(昭和40)以後活動を停止している」