「小倉清三郎」の版間の差分
提供:SMpedia
(→エピソード) |
(→略歴) |
||
13行目: | 13行目: | ||
1912年頃、東京帝国大学哲学科。 | 1912年頃、東京帝国大学哲学科。 | ||
1913年(大正2年) | 1913年(大正2年)1月20日、『'''[[小倉清三郎]]研究録 月刊 [[相對]] 第壹集'''』を[[相對社]]から発行。 | ||
1922年(大正11年)、「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案。 | 1922年(大正11年)、「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案。 |
2015年1月23日 (金) 11:19時点における版
おぐら せいざぶろう、1882年(明治15年2月28日)-1941年(昭和16年)1月14日
概要
大正から昭和時代の性科学者。哲学者。「相對会」を設立し、雑誌『相對』を出版。
別名
略歴
1882年(明治15年2月28日、福島県須賀川に生まれる。
1912年頃、東京帝国大学哲学科。
1913年(大正2年)1月20日、『小倉清三郎研究録 月刊 相對 第壹集』を相對社から発行。
1922年(大正11年)、「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案。
1940年(昭和15年)、『思想の爆破』を発表。
1941年(昭和16年)1月14日、永眠。
エピソード
- 坪内逍遥、芥川龍之介、内田魯庵、木下利玄、薄田泣菫、佐藤惣之助、大杉栄、金子光晴、平塚雷鳥、伊藤野枝などが「相對会」の会員。
- 小倉清三郎は山本宣治と共にオナニーの訳語を「自慰」という言葉に置き換えることを提唱し普及し、オナニーの有害性を否定[1]。
- 夫人の小倉ミチヨも性科学者で小倉清三郎の死後も「相對会」を引き継ぐ。
代表作
引用文献
- ↑ Wikipediaより
注釈