「宮坂信」の版間の差分

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2014年1月26日 (日) 10:57時点における版

みやさか しん、1928年(昭和3年)-

概要

編集人。仕掛人。

別名

略歴

1950年(昭和25年)頃、法政大学を卒業後、「東京」という芸能雑誌の編集に携わる。

1953年(昭和28年)頃、誠文堂新光社に行った時に、石坂幸男に給料12000円で三世社に引き抜かれる。当時初任給8000円。『実話雑誌』担当。

1956年(昭和31年)頃、編集長。アメリカ雑誌を見倣い、ビジュアル路線。野田開作が進駐軍からの古本を持ってくる。

1957年頃には『実話雑誌』は10万部の雑誌に成長。「実話」ブームとなり「実話と秘録」「実話特報」「実話情報」

1959年(昭和34年)、三世社から『週刊モダン日本』創刊。

1972年、独立してサン出版を新宿本町にて創業。

エピソード

  • 週刊新潮の立ち上げにも参加。新田敞(しょう)という後の新潮社常務から頼まれる。週刊新潮の「黒い事件簿」は実話雑誌の流れ。
  • 1979年(昭和54年)頃、宮坂信は撮影現場に必ず同行し陣頭指揮をとっていた[1]

代表作

あかまつ別冊〈01〉戦後セクシー雑誌大全―実話と画報・篇

引用文献

注釈

お役たちweb

つながり