「カストリ雑誌時代の奇譚クラブ」の版間の差分

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価格:50円<br>
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ページ数:中綴じ53ページ<br>
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口絵:二色刷り。黒岩光『花嫁の日記』を不二木一(ふじきはじめ)の絵。
口絵:二色刷り。黒岩光『花嫁の日記』を不二木一(ふじきはじめ)の絵。<br>
主な記事:[[高村暢児]]『敗戦ドイツの悲劇 女四十八人』(挿絵:[[柴谷宰二郎]])、綾津夜子『女蕩し』(挿絵:[[須磨利之|三平]])、[[辻村隆|信土寒郎]]『奇譚百話 都会の溜息』(挿絵:[[須磨利之|明石三平]])<br>
主な記事:[[高村暢児]]『敗戦ドイツの悲劇 女四十八人』(挿絵:[[柴谷宰二郎]])、綾津夜子『女蕩し』(挿絵:[[須磨利之|三平]])、[[辻村隆|信土寒郎]]『奇譚百話 都会の溜息』(挿絵:[[須磨利之|明石三平]])<br>
絵師:[[柴谷宰二郎]]、園登美、不二木一、赤坂幸太、紺野登志<br>
絵師:[[柴谷宰二郎]]、園登美、不二木一、赤坂幸太、紺野登志<br>

2011年10月13日 (木) 21:12時点における版

奇譚クラブ 1947年(昭和22年) 創刊号

きたんくらぶ

概要

奇譚クラブ』は、1947年(昭和22年)10月25日にB5版カストリ雑誌として大坂の曙書房から吉田稔によって創刊された。1年後には須磨利之辻村隆が編集に加わるが、1952年(昭和27年)6月にA5版に変更になるまでの5年間は、基本的にはごく普通のカストリ雑誌や実話雑誌として発行されていた。

発行年・出版社

1947年(昭和22年)10月(11月号)〜1975年(昭和50年)3月。ただしカストリ雑誌時代の奇譚クラブは1947年(昭和22年)11月号〜1952年(昭和27年)4月号、とする。曙書房

発行人・編集人

1947年(昭和22年)11月号〜1951年(昭和26年)11月は吉田稔

1951年(昭和26年)12月〜は箕田京二

主な出来事

創刊号

特徴:B5版のカストリ雑誌として出版。出版元は曙書房
発行日:1947年(昭和22年)10月25日(11月号)[注 1][注 2]
その他:創刊号のデザインは、グロテスクの1929年(昭和4年)1月号、2月号のデザインを模倣している[1]。また、「奇譚」に「譚」の漢字が間違っており、さらに「Kitan Clab」とミススペルになっている。

通巻2号『変態奇人号』

発行日:1947年(昭和22年)12月

通巻3号

通巻4号

通巻5号

特徴:表紙には「月刊」と。裸体モデル(18の乙女)写真分譲(5枚、50円)の広告。
発行日:1948年(昭和23年)3月20日、通巻第5号
価格:22円
ページ数:中綴じ35ページ
主な記事:保利竜平『ソドミイの壺』(挿絵:南陽二)、杉山清詩『パンパンガール殺人事件』(挿絵:紫荘児)など
絵師:南陽二、紫荘児
その他:「会員通信」が送られる会員募集の公告が。年会費は270円。裏表紙は「Kitan Clab」とミススペルのまま。第二回懸賞詰将棋。

通巻6号

通巻7号

奇譚クラブ1948年(昭和23年)通算第7号

特徴:まだ須磨利之の痕跡は見いだせない。
発行日:1948年(昭和23年)5月20日
価格:25円
ページ数:中綴じ35ページ
主な記事:杉山清詩『閨房殺人事件』など。
絵師:
その他:表表紙の裏には「Kitan Club」と正しいスペル。「譚」はあいかわらず間違ったまま。第4回懸賞詰将棋。

通巻8号

通巻9号『爽秋讀切傑作號』

特徴:表紙や挿絵に須磨利之登場。辻村隆信土寒郎の名前であちこちにコメントのような文が掲載されている。
発行日:1948年(昭和23年)10月15日
価格:40円
ページ数:中綴じ51ページ
主な記事:邦枝完二『圍い者』(挿絵柴谷宰二郎)、大谷冽『平和荘綺譚第一話 彼女は驚きぬ』(挿絵が須磨利之(TOSHIYUKIとサイン))、杉山清詩『青空晴子探偵シリーズ 鯰に魅入られた男』(挿絵:須磨利之(としゆきとサイン))、住田恭平『嘆きのイヴ』(挿絵:須磨利之)、高村暢児『愛は星の下に』(挿絵:上原正夫)、加茂川清子『口紅女学生行状記 変態痴魔事件』(挿絵:としゆき長谷川伸『善八の財布』(挿絵:笹岡一夫)
絵師:上原正夫、清原康、黒石光、笹岡一夫、岡田利久
その他:編集後記に「姉妹雑誌『譚界』」の来月創刊予告。小売店を募集している。詰将棋続く。

通巻10号『競艶力作特集號』

特徴:表紙は須磨利之。グラビアに須磨利之の三色刷イラスト。
発行日:1949年(昭和24年)1月5日
価格:40円
ページ数:中綴じ53ページ
主な記事:織田作之助 『航路』[注 3](挿絵:清原康)、高村暢児『賣笑婦は泣かず』(挿絵:笹岡武二)、忍頂寺穣『江戸の人気男』(挿絵:としゆき、加茂川清子『口紅女学生行状記 虚飾の街の娘達』(挿絵:としゆき
絵師:司馬湲(絵のサインはSHIBATANI)、笹岡三千雄、笹岡武二、清原康、左脇不二夫、田中比呂志、すまとしゆき、須磨としゆき
その他:

1949年(昭和24年)1月号別冊『世界歡楽街めぐり』

特徴:
発行日:
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:

通巻11号『珍談奇聞讀物集』

特徴:表紙は須磨利之(サインはT・S)。裏表紙の裏にはヌード写真。3色カラー口絵がついており、笹岡武二と須磨利之
発行日:1949年(昭和24年)2月25日
価格:45円
ページ数:中綴じ53ページ
主な記事:杉山清詩『馬鹿につける薬』(挿絵:須磨としゆき)、信土寒郎『二十の扉異聞』、加茂川清子「うちかなわんわァ」(挿絵:明石三平)、高村暢児『賣笑婦は泣かず』(挿絵:笹岡武二)
絵師:笹岡武二、佐々岡武二、佐脇ふじ、明石三平
その他:「11号」とも「2月号」とも書いていないが、日付から「通巻11号」としている。

1949年(昭和24年)4月号別冊『第七天國探訪記』

特徴:須磨利之が全面的に製作に関わっている。
発行日:
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:

(この間、不明)

1949年(昭和24年)7月号

特徴:表紙は須磨利之(サインはsuma)。裏表紙不明でサインはMiNE
発行日:
巻号:第3巻第7号
価格:50円
ページ数:中綴じ53ページ
口絵:二色刷り。黒岩光『花嫁の日記』を不二木一(ふじきはじめ)の絵。
主な記事:高村暢児『敗戦ドイツの悲劇 女四十八人』(挿絵:柴谷宰二郎)、綾津夜子『女蕩し』(挿絵:三平)、信土寒郎『奇譚百話 都会の溜息』(挿絵:明石三平)
絵師:柴谷宰二郎、園登美、不二木一、赤坂幸太、紺野登志
その他:編集後記に黒岩、住田、小峯の名前。

1949年(昭和24年)9月号

特徴:喜多玲子登場。表紙は須磨利之(サインはSosei)。裏表紙に「ルポ 夜のTOBITA」でヌード写真掲載。
発行日:1949年(昭和24年)9月15日
巻号:第3巻第8号
価格:50円
ページ数:中綴じ55ページ
主な記事:高村暢児『ああ引揚に涙あり』(挿絵:柴谷宰二郎)、高村暢児『ルポ 夜のTOBITA』(挿絵:㐂夛玲子、園田光『女への復習』(挿絵:喜多玲子)
絵師:灘みどり、笹岡武二、佐脇ふじ
その他:裏表紙の裏に「五萬圓懸賞」の募集広告。

1949年(昭和24年)10月号

特徴:表紙に「玲」のサイン。
発行日:1949年(昭和24年)10月15日
巻号:
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:

1950年(昭和25年)9月号『珍相実話特集』

特徴:ほとんど須磨利之辻村隆で作っているようだ。
発行日:1950年(昭和25年)9月1日
巻号:通巻23号
価格:70円
ページ数:106ページ
写真と絵のコンポジット:『玲子さん海ゆく』(ヌード写真有り)
口絵:二色刷。山東京傳『江戸生艶気椛焼』の絵をどしゆき
主な記事:緑猛比古『将軍暁に死す』(挿絵:どしゆき)、緑猛比古『娘御開帳』(挿絵:須磨どしゆき)、信土寒郎『都会の溜息』(挿絵:三平)、 早乙女晃『未亡人占師』』(挿絵:㐂夛玲子)
絵師:明石三平、森あきら、けんも
その他:

1950年(昭和25年)10月号

特徴:第3種郵便物を取得したのが1950年(昭和25年)10月5日。
発行日:
巻号:
価格:円
ページ数:
主な記事:片屋薫『女学生の私刑』、緑猛比古女侠道中』の挿絵を須磨利之が描いている[2]
絵師:
その他:

1951年(昭和26年)1月号

特徴:「須磨としゆき」「箕田京」「沖研二」の変名で須磨利之の作品が多数。
発行日:
巻号:「第二十六集」
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:

1951年(昭和26年)12月号

奇譚クラブ1951年(昭和26年)12月号

特徴:
発行日:
巻号:
価格:円
ページ数:中綴じページ
主な記事:
絵師:
その他:
1951年(昭和26年)7月、辻村隆吉田稔がヌード写真の撮影。奇譚クラブ1952年の1月号に掲載されている[3]

エピソード

引用文献

  1. 懐かしき奇譚クラブ、esme氏情報。
  2. 辻村隆本誌の旧号に現れた責繪奇譚クラブ1953年(昭和28年)9月号, グラビア
  3. 辻村隆『モデル女のまぞひずむ』奇譚クラブ1954年(昭和29年)10月号, p274

注釈

  1. 木本至の『雑誌で読む戦後史』による。秋田昌美もこの日付を用いている。一方、高倉一の『秘密の本棚Ⅰ』の後書きによると、1946年(昭和21年)に不定期刊行物として最初に発行され、1951年(昭和26年)1月号から月刊誌化されたとある。
  2. 北原童夢早乙女宏美『「奇譚クラブ」の人々』(河出書房新社, 2003)には10月号とあるので、さらに1号ふるいものがある可能性も排除できていない。
  3. 織田作之助は既に 1947年に死んでいる。

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