「小妻要」の版間の差分
(→概要) |
(→略歴) |
||
35行目: | 35行目: | ||
2009年(平成21年)、[[ヴァニラ画廊]]に於いて個展。 | 2009年(平成21年)、[[ヴァニラ画廊]]に於いて個展。 | ||
2010年(平成22年)1月、初代彫蓮とボディーペイントショーコラボ制作。 | |||
2010年(平成22年)8月26日ー9月18日、ロサンジェルス「Known Gallery」にて"OZUMA KANAME & HORIYOSHI III - IREZUMI BIJIN"が開催。 | 2010年(平成22年)8月26日ー9月18日、ロサンジェルス「Known Gallery」にて"OZUMA KANAME & HORIYOSHI III - IREZUMI BIJIN"が開催。 | ||
2011年(平成23年)9月27日、永眠。 | 2011年(平成23年)9月27日、永眠。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[小説SMセレクト]]、[[SMクラブ]]、[[SM秘小説]]などの表紙を描く。 | *[[小説SMセレクト]]、[[SMクラブ]]、[[SM秘小説]]などの表紙を描く。 |
2011年9月27日 (火) 13:00時点における版
おずま かなめ、1939年(昭和14年) 1月19日- 2011年(平成23年)9月27日
概要
絵師。文筆家。SMセレクト、、SMファン、別冊SMファン、SM秘小説、SMクラブなどに作品発表。刺青美人画を得意とし、国内外に多くの支持者をもつ。
別名
Kaname Ozuma、小妻容子、坂井勝利(本名)
略歴
1939年(昭和14年)、新潟県柏崎生まれ。
1950年(昭和25年)、叔父の日本画家・坂井草子(坂井辰次)に師事。
1956年(昭和31年)、上京、中央美術大学院入学
1958年(昭和33年)、肺結核療養のため新潟県柏崎市に戻る。
1959年(昭和34年)、柏崎市の小田印刷デザイン部に入社、画判、版下担当。
1962年(昭和37年)、再度上京。戸井版画工房入社。
1965年(昭和40年)、栗津画廊にて画業育成の指導を受ける。
1965年(昭和40年)、奇譚クラブ9月号に小妻容子『黒いコートの記憶から』が懸賞入選作品として掲載。
1968年(昭和43年)、栗津画廊を辞し、新聞、雑誌などの挿画、表紙画、口絵を描く。
1971年(昭和46年)、小妻要画集『女人幻想』(萃擁社)刊行。
1986年(昭和61年)、中央区銀座ロイヤルサロンギンザに於いて個展開催。
1987年(昭和62年)、小妻要、沢登みよじ、堂昌一、西村晴海、レオ澤鬼で「艶5人展」発足[注 1]。
1997年(平成9年)、報知新聞、文芸家クラブ大賞、挿画賞受賞。
2009年(平成21年)、ヴァニラ画廊に於いて個展。
2010年(平成22年)1月、初代彫蓮とボディーペイントショーコラボ制作。
2010年(平成22年)8月26日ー9月18日、ロサンジェルス「Known Gallery」にて"OZUMA KANAME & HORIYOSHI III - IREZUMI BIJIN"が開催。
2011年(平成23年)9月27日、永眠。
エピソード
作品
雑誌
- 小妻容子『妊婦受難二題』奇譚クラブ1968年(昭和43年)1月号, p23
- 小妻容子『操り人形セット』奇譚クラブ1969年(昭和44年)1月号, p248
- 小妻容子『引き責め』奇譚クラブ1969年(昭和44年)10月号, p239
画集
- 小妻要『女人藍像―小妻要〔刺青〕美人画集』(辰巳出版, 1995)
- 団鬼六『異形の遊戯』(ワニマガジン, 1996.7.10)(発行人:平田昌兵、アートディレクション:武田和久、写真:山崎シンジ、緊縛師:明智伝鬼、長池士、絵:春日章、小妻要、春川ナミオ、モデル:小川実那子他)
- 小妻要『刺青妖艶花―TATTOOing』(二見書房, 2000)
- 小妻要『藍の華―Tattoo fantasy』(二見書房, 2003)
- 小妻容子『刺青美浪漫』(マイウェイ出版, 2005)
- 小妻容子『小妻容子秘画帖 豊艶の濫り』(大洋図書, 2009)
- 小妻容子『秘禁縄淫画廊』(マイウェイ出版, 2008)
引用文献
注釈
- ↑ ロイヤルサロンギンザにてその後毎年開催。