「江戸川乱歩」の版間の差分
提供:SMpedia
(→エピソード) |
(→別名) |
||
7行目: | 7行目: | ||
==別名== | ==別名== | ||
江戸川亂步、平井太郎(本名) | 江戸川亂步、平井太郎(本名) | ||
==略歴== | |||
1930年(昭和5年)、'''講談倶楽部'''に『'''魔術師'''』を報知新聞に『'''吸血鬼'''』を連載開始。いずれも挿絵は[[岩田専太郎]]。 | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
* [[須磨利之]]に少年愛的な絵を依頼していた<ref>北原童夢『東京フェティッシュ倶楽部』(1996 三一書房)</ref> | * [[須磨利之]]に少年愛的な絵を依頼していた<ref>北原童夢『東京フェティッシュ倶楽部』(1996 三一書房)</ref> |
2011年6月12日 (日) 10:14時点における版
えどがわ らんぽ、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日
概要
文筆家。推理小説作家。日本推理作家協会初代理事長。伊藤晴雨、須磨利之とも交友関係があった模様。
別名
江戸川亂步、平井太郎(本名)
略歴
1930年(昭和5年)、講談倶楽部に『魔術師』を報知新聞に『吸血鬼』を連載開始。いずれも挿絵は岩田専太郎。
エピソード
- 須磨利之に少年愛的な絵を依頼していた[1]
- 筆名はエドガー・アラン・ポーをもじったもの。
- 畔亭数久の名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来するのではとされている。
- ネット上に杉原虹児が江戸川乱歩の作品を手がけたとの情報[2]。
- 1928年(昭和3年)に発表した「陰獣」は、掲載誌『新青年』を増刷させる程の好評を博したと伝えられ、横溝正史の「呪いの塔」は「陰獣」をリスペクトして書かれたと言われている。
- 岡戸武平や平井蒼太、井上勝喜が代作者として乱歩名義の作品を発表した。
- 横溝正史との連名で翻案探偵小説「覆面(ベール)の佳人」を新聞連載しているが実際は名義を貸しただけらしく、現在、同作は横溝の単独執筆作品とするのが一般的な見解となっている。