「室井亜砂二」の版間の差分
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1980年代中頃、室井亜砂二と名前を変えてSM作品を再び発表し始める。 | 1980年代中頃、室井亜砂二と名前を変えてSM作品を再び発表し始める。 | ||
2004年(平成16年)4月20日〜5月1日、[[ヴァニラ画廊]]にて『'''人畜夢界展'''』 | |||
2009年(平成21年)10月、画廊カフェ・百日紅で、個展『残夢の疵痕』 | 2009年(平成21年)10月、画廊カフェ・百日紅で、個展『残夢の疵痕』 | ||
2010年(平成22年)9月、画廊カフェ・百日紅で、個展『悲しい大人の子守唄展』 | 2010年(平成22年)9月、画廊カフェ・百日紅で、個展『悲しい大人の子守唄展』 | ||
) 2011年(平成23年)5月30日~6月11日、[[ヴァニラ画廊]]にて『'''聖徴・異形美展~頌フリークス降臨~'''』(参加作家:ウエノシゲユキ 河上ヨシタカ クロ 小山哲生 清水真理 田中流 林アサコ 亡月王 ミヤケ千夏 [[宮西計三]] [[室井亜砂二]] 与偶) | |||
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2011年5月29日 (日) 17:27時点における版
xx、19ss年(昭和x年) -
活動内容
絵師。
別名
室井亜砂路
略歴
小学生の頃、入院先の病院でたまたま目にした「全裸の武家娘が街道の松の枝から荒縄で吊り下げられている絵」に衝撃[1]。
小学5年生の時、肉体の門を愛読。他に谷崎潤一郎や泉鏡花、太宰治の作品を[1]。
1965年(昭和40年)、奇譚クラブに室井亜砂路の名前で作品を発表し始める[注 1]。
1970年代中頃から1980年代中頃まで室井亜砂路の名前ではSM作品を発表しなかった。
1980年代中頃、室井亜砂二と名前を変えてSM作品を再び発表し始める。
2004年(平成16年)4月20日〜5月1日、ヴァニラ画廊にて『人畜夢界展』
2009年(平成21年)10月、画廊カフェ・百日紅で、個展『残夢の疵痕』
2010年(平成22年)9月、画廊カフェ・百日紅で、個展『悲しい大人の子守唄展』
) 2011年(平成23年)5月30日~6月11日、ヴァニラ画廊にて『聖徴・異形美展~頌フリークス降臨~』(参加作家:ウエノシゲユキ 河上ヨシタカ クロ 小山哲生 清水真理 田中流 林アサコ 亡月王 ミヤケ千夏 宮西計三 室井亜砂二 与偶)
エピソード
- 高校生時代に、奇譚クラブにイラストを送り始めた。
作品
- 室井亜砂路『僕のイメージ画』奇譚クラブ1965年(昭和40年)7月号, p23
- 室井亜砂路『雑感 僕の憎まれぐち』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号, p202
- 室井亜砂路『ムロイ新聞』奇譚クラブ1970年(昭和45年)4月, p243
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 高村浩子に想う』奇譚クラブ1972年(昭和47年)6月号
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 関谷富佐子慟哭図』奇譚クラブ1972年(昭和47年)10月号
- 室井亜砂路『イメージギャラリー 渡部好美喜悦の図』奇譚クラブ1973年(昭和48年)5月号
画集
- 『首輪をつけたビーナス』』(私家版, ??)
- 『僕のイメージ画集』』(私家版, ??)
- 『哀犬倶楽部』(大洋図書, 2004)
- 『女犬ノ絵本』(私家版, 200x)
- 『詩画集・悲しい大人の子守唄』(2010)
引用文献
注釈
- ↑ 1975年(昭和50年)の終刊の年まで10年間にわたり作品を発表。