「梅亭金鵞」の版間の差分
提供:SMpedia
(→つながり) |
編集の要約なし |
||
15行目: | 15行目: | ||
==トピック== | ==トピック== | ||
*酒井潔『らぶ・ひるたぁ』(文藝市場社, 1929)の中で[[梅亭金鵞]]が考案したとされる『[[發花杖]]』が紹介されている。これは竹と紐で作る女性の責め具の一種で、初期のSM道具の1つと考えて良い<ref name="murata"></ref>。 | *酒井潔『らぶ・ひるたぁ』([[文藝市場社]], 1929)の中で[[梅亭金鵞]]が考案したとされる『[[發花杖]]』が紹介されている。これは竹と紐で作る女性の責め具の一種で、初期のSM道具の1つと考えて良い<ref name="murata"></ref>。 | ||
== 引用文献== | == 引用文献== | ||
<references/> | <references/> |
2011年4月21日 (木) 13:16時点における版
ばいてい きんが, 1821年(文政4年5月2日 - 1893年)(明治26年)6月30日
概要
文筆家。幕末から明治にかけての滑稽本・人情本作家。SM具のはしりとも言える『發花杖』を考案している[1]。柳剛流の剣術使いでもある。
別名
吉田政和(旧姓)、瓜生政和(本名)、金鵞大人、吾妻雄兔子、吾妻男一丁、熊三郎、梅亭蕩人
略歴
1821年(文政4年5月2日、両国に柳剛流の剣客吉田勝之丞を父として生まれる。
瓜生家の養子になってから戯作界に入って松亭金水[注 1]に師事。
主な作品
- 『春宵風見種』
- 『団団珍聞』
- 『寄笑新聞』
トピック
引用文献
注釈
- ↑ 江戸時代の人情本作家。