「川上譲治」の版間の差分
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2002年(平成14年)、「ビックダンス」ソロダンサーダンス大会興行をプロデュース | 2002年(平成14年)、「ビックダンス」ソロダンサーダンス大会興行をプロデュース | ||
2003年(平成15年)11月1日、[[ショーアップ大宮 『ザ・SMワールド』]]をプロデュース。以後、定期的にSM興行。 | 2003年(平成15年)11月1日、[[ショーアップ大宮#2003.E5.B9.B411.E6.9C.881.E6.97.A5.E3.80.81.E3.80.8E.E3.82.B6.E3.83.BBSM.E3.83.AF.E3.83.BC.E3.83.AB.E3.83.89.E3.80.8F|『ザ・SMワールド』]]をプロデュース。以後、定期的にSM興行。 | ||
2004年(平成16年)、「ホモセクシャル」男のストリップ興行をプロデュース | 2004年(平成16年)、「ホモセクシャル」男のストリップ興行をプロデュース |
2010年11月8日 (月) 09:10時点における版
かわかみ じょうじ、1950年(昭和25年)
活動内容
ストリップ演出家。「ポラロイドショー」他のいろいろな新しい企画をストリップに持ち込んだ。SM関係では、ショーアップ大宮で始めたSM大会が大きな定期イベントとして育った。
別名
ジョウジ川上
略歴
1950年(昭和25年)、島根県浜田市生まれ。
1975年、大阪芸術大学写真学科を中退。
1976年、新宿モダンアートに照明係として入社。
1977年 石和ミュージックホール(山梨県)に、お座敷ストリップの出前実演スタッフとして出向
1978年 大宮劇場(埼玉県)川口劇場(埼玉県)両館の名義貸支配人を兼任
1979年 裸舞プロモーションDXブーレン(台東区浅草・第二松倉荘203号)を結成・独立
1981年、「ポラロイドショー」を発案[1]。
1982年(昭和57年)、「個室ナマ板ショー」で公然わいせつ罪共謀共同正犯で逮捕[1]。
1984年(昭和59年)、新宿モダンアートでの「シアターパラダイス」を経て、「シアターニューモダンアート」を開館[1]。
1985年(昭和60年)、流山児祥演出による「肉体の門1985年」アングラストリップレビュー公演をプロデュース
1985年(昭和60年)、新風営法の施行と共に一時引退。運送業を興す[1]。
1986年(昭和61年)、「ラストストリップ」池袋スカイ劇場のさよなら興行をプロデュース。
1990年(平成2年)頃、ストリップ界に復帰。大宮の劇場や「鶴見新世界劇場」[1]。
1992年(平成4年)、 「恐山の女」アングラストリップ劇公演をプロデュース
1993年(平成5年)頃、再び一時引退。タクシーの運転手をしながら亜細亜大学法学部法律学科社会人入学[1]。
1997年(平成9年)、 亜細亜大学法学部法律学科卒業
1998年(平成10年)、 新生・鶴見新世界劇場(神奈川県)にて、おもしろ企画興行をプロデュース
2001年(平成13年)、ショーアップ大宮劇場の社長となる。
2002年(平成14年)、「ビックダンス」ソロダンサーダンス大会興行をプロデュース
2003年(平成15年)11月1日、『ザ・SMワールド』をプロデュース。以後、定期的にSM興行。
2004年(平成16年)、「ホモセクシャル」男のストリップ興行をプロデュース
2005年(平成17年)2月、ショーアップ大宮劇場の社長を退く。
2005年(平成17年)、大阪芸術大学大学院芸術製作研究科写真専攻社会人入学
2006年(平成18年)、DX歌舞伎町「DX歌舞伎ファイナル伝説」のプロデュースを最後にストリップ界から引退。
2008年(平成20年)、故郷の島根県浜田に戻り、介護タクシーの運転手をやりながら写真展などを開催。
エピソード
- 考案した新企画は「ポラロイドショー」、「聖水ショー」、「ピーピングショー」、「ストトルショー」、「マン拓ショー」、「混浴ショー」、「オカマとストリッパーのレズビアンショー」、「生板どろんこレスリングショー」他。
- ショーアップ大宮の雇われ社長であった。
代表作
参考資料
注釈