「四馬孝」の版間の差分
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1975年(昭和50年)3月、[[奇譚クラブ]]最終号である3月号の表紙。 | 1975年(昭和50年)3月、[[奇譚クラブ]]最終号である3月号の表紙。 | ||
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2024年3月31日 (日) 16:44時点における版
しま たかし、(生年月日不詳)。奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから1975年(昭和50年)3月の最終号まで登場した絵師。「鼻責め」を特徴。同誌のグラビア撮影にも関与。
概要
絵師。奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから1975年(昭和50年)3月の最終号まで作品発表。顔責め、鼻責め、革拘束具の責め絵が多い。奇譚クラブの写真撮影にも積極的に関与していた模様。
別名
Takashi Shima、四万孝、深山翠、多摩敏郎
略歴
1954年(昭和29年)11月、奇譚クラブ 1954年(昭和29年)11月号あたりから登場。
1959年(昭和34年)4月、奇譚クラブSADO特集号第2集では、四馬孝が大きく特集されている。
1961年(昭和36年)4月、奇譚クラブの「編集部便り」で「四馬孝氏が来阪。久々ぶりにアブ探求の体験談をきいた・・」とある。
1975年(昭和50年)3月、奇譚クラブ最終号である3月号の表紙。
1975年(昭和50年)、多摩敏郎の名でサスペンスマガジンに作品発表。
エピソード
- 塚本鉄三と仲が良く、同じモデルを塚本が写真撮影、四馬がデッサンしていた[1]。
- 奇譚クラブ1960年(昭和35年)8月号に「新人モデル若原明子さんにポーズをつける四馬孝氏」の写真がある。
- 志摩紫光「とても嗜虐心を掻き立てる女の表情に興奮したな〜(苦笑)。大好きな絵師で、まだご存命なんですよね。」(2016.2.17, Mixiでのコメント)
代表作品
- 『新人責め絵集 悲しき道化役者』奇譚クラブ1953年(昭和29年)11月号
- 四馬孝『絵物語 嫉妬』奇譚クラブ1955年(昭和30年)2月号, グラビア
- 四馬孝『責めの美人と皮革について』奇譚クラブSADO特集号第2集 1959年(昭和34年), p58
- 中村淳三、四馬孝『白線地帯の女狩』奇譚クラブ1960年(昭和35年)7月号
- 四馬孝『より美しきもの』奇譚クラブ1961年(昭和36年)1月号, グラビア
- 『吊責遊び方教室』奇譚クラブ1960年(昭和35年)12月号
- 1969年(昭和44年)、奇譚クラブ5月号臨時増刊号『花と蛇』特集の口絵。
- 奇譚クラブ1975年(昭和50年)3月最終号の表紙。
- 相馬俊樹・編『秘匿の残酷絵巻 臼井静洋・四馬孝・観世一則~風俗資料館 秘蔵画選集2』(書苑新社, 2011)