「マリエ」の版間の差分

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[[画像:Marie1.jpg|250px|thumbnail|[[SMスピリッツ]]1984年(昭和59年)8月号の[[マリエ]]主催による和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の広告。]]
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[[画像:Marie2.jpg|250px|thumbnail|[[S&Mスナイパー]]1985年6月号のSMクラブマップより。]]
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==概要==
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1984年(昭和59年)2月26日、[[S&Mスナイパー]]4月号に「マリエ・SMパーティー」案内。大阪ミナミのホテル。15,000円。
1984年(昭和59年)2月26日、[[S&Mスナイパー]]4月号に「マリエ・SMパーティー」案内。大阪ミナミのホテル。15,000円。


1984年(昭和59年)6月、[[SMスピリッツ]]6月号の[[雪村春樹]]『浪華あぶとぴあ』の撮影は、[[マリエ]]のM女がモデルで、緊縛は[[マリエ]]のタドコロがおこなっている。
1984年(昭和59年)6月、[[SMスピリッツ]]6月号の[[雪村春樹]]『浪華あぶとぴあ』の撮影は、[[マリエ]]のタドコロが紹介したモデル三名が出演。タドコロが縛師として紹介されている。


1984年(昭和59年)9月9日、和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」<ref>[[SMスピリッツ]]1984年(昭和59年)11月号に和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の報告記事</ref>。
1984年(昭和59年)9月9日、和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」<ref>[[SMスピリッツ]]1984年(昭和59年)11月号に和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の報告記事</ref>。

2021年2月28日 (日) 08:15時点における版

SMスピリッツ1984年(昭和59年)8月号のマリエ主催による和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の広告。
S&Mスナイパー1985年6月号のSMクラブマップより。
SMスピリッツ6月号の雪村春樹『浪華あぶとぴあ』の撮影は、マリエのタドコロが紹介したモデル三名が出演。タドコロが縛師として紹介されている。

概要

村田光生が1980年代におこなっていた、SMショー、SMクラブ、SM企画などの名称。

別名

マリエ マリエスポーツクラブ マリエ・スキャンダル MARIE SCANDAL

所在地

歴史

1984年(昭和59年)頃、オープン[注 1]

1984年(昭和59年)2月26日、S&Mスナイパー4月号に「マリエ・SMパーティー」案内。大阪ミナミのホテル。15,000円。

1984年(昭和59年)6月、SMスピリッツ6月号の雪村春樹『浪華あぶとぴあ』の撮影は、マリエのタドコロが紹介したモデル三名が出演。タドコロが縛師として紹介されている。

1984年(昭和59年)9月9日、和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」[1]

1984年(昭和59年)10月27日、SMスピリッツ11月号にマリエ・プレイルームでのSMショーの案内。10,000円。

エピソード

  • 明智伝鬼が1987年頃の関東でのSMショーがダラけていることを指摘する際に、大阪の「マリエ」と比較している[注 2]
  • 1988年頃は「現在、休業中」とある[注 2]

引用文献

  1. SMスピリッツ1984年(昭和59年)11月号に和歌山県の無人島での「SMフェステイバル」の報告記事

注釈

  1. S&Mスナイパー1985年6月号に「三周年記念」とあることから逆算。
  2. 2.0 2.1 浮上する闇』in 北原童夢「特集劇的なるショウSMの世界」SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号

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