「長嶋正巳」の版間の差分

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==エピソード==
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*「曽祖父から祖父は漢方医でした。」「父は、明治二十年頃、近代の西洋医学を学び、内科と外科の両方の医者として、田舎で一生を終えました。」<ref name="mitsuiro"></ref>。
*子にあたる長嶋正博、長嶋博文、長嶋悟らも出版関係で活動。
*子にあたる長嶋正博、長嶋博文、長嶋悟らも出版関係で活動。
*『春歌・かえ歌集』(不明)『日本美人画一千年史』の著者か?(''要確認'')
*『春歌・かえ歌集』(不明)『日本美人画一千年史』の著者か?(''要確認'')

2017年8月5日 (土) 10:55時点における版

ながしま まさみ、1923年(大正12年)頃-2003年(平成15年)

概要

桜桃書房の設立者。いくつかのSM雑誌の発行に関わったと思われる。

別名

english

略歴

1923年(大正12年)頃、誕生。

1969年(昭和44年)10月28日、外苑書房から高橋鐵の『愛苑』創刊。

1970年(昭和45年)頃、清風書房(外苑書房)の編集にいた模様。

1972年(昭和47年)、スパークSM3月号まで編集人。4月号からは外れている。

1976年(昭和51年)5月25日[注 1]桜桃書房の設立。

2003年(平成15年)6月2日、肝臓がんで死去[1]

エピソード

  • 「映画雑誌の出版をしていた」[2]
  • 「曽祖父から祖父は漢方医でした。」「父は、明治二十年頃、近代の西洋医学を学び、内科と外科の両方の医者として、田舎で一生を終えました。」[2]
  • 子にあたる長嶋正博、長嶋博文、長嶋悟らも出版関係で活動。
  • 『春歌・かえ歌集』(不明)『日本美人画一千年史』の著者か?(要確認)

代表作

引用文献

  1. 出版業界News
  2. 2.0 2.1 長嶋正巳『三色の夢と幸福設計』(桜桃書房, 1994)

注釈

  1. 1972年(昭和47年)という表記もある。

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