「風俗草紙」の版間の差分
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2010年4月10日 (土) 08:03時点における版
『風俗草紙』(ふうぞくそうし)は、戦後二番目に発行されたSM関連風俗誌である。
概要
1953年(昭和28年)に、恐らく奇譚クラブを意識して作られた雑誌。活発な宣伝で部数を上げたが、当局の目につき摘発が相次ぎ休刊に追い込まれる。奇譚クラブを離れた須磨利之、八木静男、中川彩子、秋吉巒などの一流の絵師を揃えると共に、伊藤晴雨、高橋鐵、松井籟子などの執筆陣を集めたが、マニアからの強い支持は得られなかった。
発行年・出版社
1953年(昭和28年)〜1954年(昭和29年)、日本特集出版社
発行人・編集人
編集人:氏家富良、発行人:野村佳秀
主な出来事
1953年(昭和28年)7月、『特集雑誌 オール実話』増刊号として発刊。喜多玲子の絵、上田青柿郎の文など。
1953年(昭和28年)9月、『女体の縛り方一五種』では伊藤晴雨が縛り方を図入りで解説。美濃村の縛りも紹介。上田青柿郎も出ている。
1954年(昭和29年)、2月号が摘発(続いて奇譚クラブも)。4月号も発禁となり、やがて廃刊[1]。
エピソード
- 表紙を秋吉巒や中川彩子が描いた。
- 奇譚クラブを離れた喜多玲子が描く。美濃村晃というペンネームも絵でこのこから用いられている[注 1]。
- やがて八木静男(=奇譚クラブでは都築峯子)も登場。須磨が誘ったか?
- 中川彩子がはじめて登場。
- 須磨は編集スタッフには入っていなかった模様[1]。