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[[画像:S&Mmagazine.jpg|250px|thumbnail|サスペンス&ミステリーマガジン 1971年(昭和46年)6月号]] | |||
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1968年(昭和43年)9月に『[[サスペンス&ミステリーマガジン]]』を創刊。同誌は1976年(昭和51年)『[[SMマガジン]]』へと改題し、1983年(昭和58年)4月号まで続く。[[サスペンス&ミステリーマガジン]]の表紙には「SM」というデザインが大きく使われており、[[SMという言葉の誕生]]を考える上で、重要な位置を占める。同社は、1970年(昭和45年)5月に[[問題SM小説]]を創刊しており、これは雑誌タイトルに「SM」という記号を用いた、最初の雑誌とされている。[[長田英吉]]が後期に関係しているようだ。SM8mm、SMビデオの制作もおこなっていた。[[手帖社]]と関連が深く、[[手帖社]]から1968年(昭和43年)に『[[SMグラフ]]』が発刊されている。 | 1968年(昭和43年)9月に『[[サスペンス&ミステリーマガジン]]』を創刊。同誌は1976年(昭和51年)『[[SMマガジン]]』へと改題し、1983年(昭和58年)4月号まで続く。[[サスペンス&ミステリーマガジン]]の表紙には「SM」というデザインが大きく使われており、[[SMという言葉の誕生]]を考える上で、重要な位置を占める。同社は、1970年(昭和45年)5月に[[問題SM小説]]を創刊しており、これは雑誌タイトルに「SM」という記号を用いた、最初の雑誌とされている。[[長田英吉]]が後期に関係しているようだ。SM8mm、SMビデオの制作もおこなっていた。[[手帖社]]と関連が深く、[[手帖社]]から1968年(昭和43年)に『[[SMグラフ]]』が発刊されている。 |
2016年7月24日 (日) 18:04時点における版
概要
1968年(昭和43年)9月に『サスペンス&ミステリーマガジン』を創刊。同誌は1976年(昭和51年)『SMマガジン』へと改題し、1983年(昭和58年)4月号まで続く。サスペンス&ミステリーマガジンの表紙には「SM」というデザインが大きく使われており、SMという言葉の誕生を考える上で、重要な位置を占める。同社は、1970年(昭和45年)5月に問題SM小説を創刊しており、これは雑誌タイトルに「SM」という記号を用いた、最初の雑誌とされている。長田英吉が後期に関係しているようだ。SM8mm、SMビデオの制作もおこなっていた。手帖社と関連が深く、手帖社から1968年(昭和43年)に『SMグラフ』が発刊されている。
所在地
- 東京都中央区日本橋江戸橋[注 1]1-5永田ビル (1970.7, 1971.12)[注 2]
- 東京都中央区日本橋茅場町1-18共同ビル304 (1972.9, 1974.5)
- 東京都中央区日本橋茅場町1-6-12共同ビル304
主な発行物
雑誌
-
サスペンス&ミステリーマガジン (1968-1983)[注 3]
-
問題SM小説 (1970-1975)
-
Pocket SM (1970-1972)
-
別冊問題SM小説 (1971-1975)
- 『サスペンス&ミステリーマガジン』
- 『SMマガジン臨時増刊号』
- 『問題SM小説』、1970年(昭和45年)5月-1975年(昭和50年)
- 『Pocket SM』、1970年(昭和45年)7月
- 『別冊問題SM小説』、1971年(昭和46年)5月-1976年(昭和51年)
- 『特集SMマガジン』
- 『S&Mギャラリー』1974年(昭和49年)5月創刊
- 『アドン』1974年(昭和49年)5月1日、編集人:南定四郎、発行人:松山譲一
- 『SMゴールド』1975年(昭和50年)頃
- 『リアルSM』1976年(昭和51年)頃
- 『悦楽SM』1976年(昭和51年)頃
- 『快美 小説SM CLUB』1976年(昭和51年)頃
- 『快美SM劇場』1976年(昭和51年)6月1日、松山譲一
- 『SMスパイダー』1982年(昭和57年)頃
- 『写真激烈SM』1982年(昭和57年)頃
- 『裏写真 裏本型録'85 1/2 ギャルハンター昭和60年8月増刊』1985年
- 『メロン通信』1986年(昭和61年)