「小倉清三郎」の版間の差分
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2015年1月25日 (日) 08:36時点における最新版
おぐら せいざぶろう、1882年(明治15年2月28日)-1941年(昭和16年)1月14日
概要
大正から昭和時代の性科学者。哲学者。「相對会」を設立し、雑誌『相對』を出版。
別名
略歴
1882年(明治15年2月28日、福島県須賀川に生まれる。
1912年頃、東京帝国大学哲学科。
1913年(大正2年)1月20日、『小倉清三郎研究録 月刊 相對 第壹集』を相對社から発行。
1919年(大正8年)頃、小倉ミチヨと結婚。
1922年(大正11年)、「手淫」の代わりに「自慰」という言葉を考案。
1933年(昭和8年)、猥褻文書出版違反で検挙。
1939年(昭和14年)、小倉ミチヨと離婚。
1940年(昭和15年)、『思想の爆破』を発表。
1941年(昭和16年)1月14日、永眠。
エピソード
- 坪内逍遥、芥川龍之介、内田魯庵、木下利玄、薄田泣菫、佐藤惣之助、大杉栄、金子光晴、平塚雷鳥、伊藤野枝などが「相對会」の会員。
- 小倉清三郎は山本宣治と共にオナニーの訳語を「自慰」という言葉に置き換えることを提唱し普及し、オナニーの有害性を否定[1]。
- 夫人の小倉ミチヨも性科学者で小倉清三郎の死後も「相對会」を引き継ぐ。
代表作
資料
- 相対会・編集『田原安江―相対レポートセレクション』(河出書房新社, 1998)
- 相対会・編集『避難宿の出来事―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 1998)
- 相対会・編集『忘れ難き二十二歳の娘―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 1999)
- 相対会・編集『女から挑まれた経験―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 1999)
- 相対会・編集『赤い帽子の女―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 1999)
- 相対会・編集『それからそれ―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 1999)
- 相対会・編集『女流楽人の追憶―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2000)
- 相対会・編集『暗色の女の群―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2000)
- 相対会・編集『彼女と彼―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2000)
- 相対会・編集『性体験記録 百合子―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2001)
- 相対会・編集『忘られぬ女―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2001)
- 相対会・編集『本能の暗き旅路―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2001)
- 相対会・編集『始めて見た世界―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2002)
- 相対会・編集『医務室をめぐる女達―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2002)
- 相対会・編集『男嫌ひの女―相対レポート・セレクション』(河出書房新社, 2002)
- 小倉ミチヨ(下川耿史・編)『小倉ミチヨ・相対会研究報告』(筑摩書房, 1999)
- 小倉ミチヨ・相対会『退院の後―相対レポート・セレクション〈別巻〉』(河出書房新社, 2003)
引用文献
- ↑ Wikipediaより
注釈