「東京倶楽部」の版間の差分

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==エピソード==
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*戦前から、すでに西洋物の2番館<ref name="kindaikenchiku">[http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/af5c5c05fcae42217807df7ac173899d ぼくの近代建築コレクション:東京クラブ/浅草1丁目]</ref>
== 引用文献==
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== お役たちweb==
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*[http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/af5c5c05fcae42217807df7ac173899d ぼくの近代建築コレクション:東京クラブ/浅草1丁目]
*「入場料700円は浅草で最も安い。17時からは500円に、20時からは300円と割引になる。2階の映写室にはフジ・セントラルの旧式映写機が。3階の客室からはスクリーンは、はるか下に小さく見える。ウチコミ(開場)は平日が10:30、土日が10:00。終了は21時で、1回目の上映は終了時間に合わせて途中から。馬券を買う人も早朝割引500円で入ってくる。1回だけは外出できる。」枝川公一著『ふりむけば下町があった』(新潮社、1988)<ref name="kindaikenchiku"></ref>。
==つながり==
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2014年11月10日 (月) 11:55時点における版

概要

別名

東京クラブ

所在地

東京都台東区浅草1-26-5

歴史

1913年(大正2年)、映画館として根岸興行部によりオープン。

1923年(大正12年)、 関東大震災で壊滅、松竹傘下に。

1931年(昭和6年)、改築。

1945年(昭和20年)8月、伊藤晴雨が終戦直後、浅草東京倶楽部の地下で『浅草名物見世物展』での挿絵芝居「紅皿欠皿」を製作[1]

1991年(平成3年)11月、閉館。跡地はROX3となる。

エピソード

  • 戦前から、すでに西洋物の2番館[2]

引用文献

  1. 安藤鶴夫『浅草六齣』in 『演劇界』(1945)
  2. ぼくの近代建築コレクション:東京クラブ/浅草1丁目

注釈

お役たちweb

  • ぼくの近代建築コレクション:東京クラブ/浅草1丁目
  • 「入場料700円は浅草で最も安い。17時からは500円に、20時からは300円と割引になる。2階の映写室にはフジ・セントラルの旧式映写機が。3階の客室からはスクリーンは、はるか下に小さく見える。ウチコミ(開場)は平日が10:30、土日が10:00。終了は21時で、1回目の上映は終了時間に合わせて途中から。馬券を買う人も早朝割引500円で入ってくる。1回だけは外出できる。」枝川公一著『ふりむけば下町があった』(新潮社、1988)[1]

つながり

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