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2014年4月24日 (木) 18:37時点における版
やまとしんぶん
概要
花柳界や芸能界の記事、続き読み物、ゴシップ記事などが中心的の明治の「小新聞」。月岡芳年、水野年方や伊藤晴雨が挿絵を描いていた。付録に錦絵新聞がしばしばついており、月岡芳年が『近世人物誌』を連載。
発行年・出版社
やまと新聞社
主な出来事
1884年(明治17年)10月4日、東京日々新聞の創始者、條野伝平が『警察新報』を創刊[1]。
1886年(明治17年)10月7日、『警察新報』が『やまと新聞』に改題[1]。
1909年(明治42年)、伊藤晴雨が「やまと新聞社」に挿絵主任として入社。
1944年(昭和19年)10月、付録に月岡芳年が錦絵新聞の『近世人物誌』を連載開始。
1945年(昭和20年)5月、休刊[1]。
1945年(昭和20年)10月1日、復刊[1]。
1946年(昭和21年)1月11日、『新夕刊』と改称[1]。
1950年(昭和25年)3月20日、『日本夕刊新聞』に改題[1]。
1952年(昭和27年)7月10日、『新夕刊』に復題[1]。
1958年(昭和33年)4月16日、『国民タイムズ』に改題[1]。
1960年(昭和35年)4月、『夕刊東京スポーツ』に改題[1]。
1962年(昭和37年)、『東京スポーツ』に改題[1]。
エピソード
- 『新夕刊』時代には一時期「サザエさん」も掲載されていた。