「怪談敷島譚」の版間の差分
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1872年(明治2年)3月、[[森田座|守田座]]で三世[[沢村田之助]]が初演<ref>吉田弥生『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/483557947X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=483557947X&linkCode=as2&tag=iq05-22 江戸歌舞伎の残照]'''』(文芸社, 2004)</ref>。 | 1872年(明治2年)3月、[[森田座|守田座]]で三世[[沢村田之助]]が初演<ref>吉田弥生『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/483557947X/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=483557947X&linkCode=as2&tag=iq05-22 江戸歌舞伎の残照]'''』(文芸社, 2004)</ref>。 | ||
2001年(平成13年)、大阪松竹座で市川染五郎、中村梅玉 | |||
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*河竹黙阿弥が[[沢村田之助]]のために作った作品。 | *河竹黙阿弥が[[沢村田之助]]のために作った作品。 |
2014年4月18日 (金) 08:23時点における版
概要
河竹黙阿弥の歌舞伎作品。序幕、枕探し[注 1]の罪をなすりつけられた花魁の傾城敷島が折檻される場面があり、伊藤晴雨のお気に入り。
別名
敷島、好色芝紀島物語
歴史
1872年(明治2年)3月、守田座で三世沢村田之助が初演[1]。
2001年(平成13年)、大阪松竹座で市川染五郎、中村梅玉
トピック
- 河竹黙阿弥が沢村田之助のために作った作品。
- 初演時、沢村田之助は脱疽で片足を切断していた。その後さらに脱疽が悪化し、四肢すべてを失った。
- 伊藤晴雨の「一代の人気女形 三代目沢村田之助」と題した作品がSM秘小説1983年(昭和58年)1月増刊『秘画秘本傑作集』に再掲されている。解説は美濃村晃。
引用文献
注釈
- ↑ 客が寝入ったのを見計らって金を盗む