「緊縛師」の版間の差分
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2012年8月14日 (火) 07:39時点における版
概要
『緊縛師(キンバクシ)』『縛師(バクシ)』『縄師(ナワシ)』
英語表記
資料
- 江川夢次『SM歌謡「緊縛師」「ピンクの花」』奇譚クラブ1969年(昭和44年)4月号
- 風流極道軒『読むためのシナリオ 女緊縛師』奇譚クラブ1970年(昭和45年)2月号
- 『縄師 辻村隆』SMキング1973年(昭和48年)5月号
- 豊中夢夫『黒い緊縛師』SMセレクト1974年(昭和49年)2月号
- 団鬼六『女縄師裕子』SMセレクト1977年(昭和57年)12月号
- 『緊縛師の首領・長田英吉大いに語る』SMクラブ1978年(昭和53年)5月号
- 団鬼六『黄昏の縄師』小説SMセレクト1980年(昭和55年)8月号
濡木痴夢男関連資料
- 『「縄師」を名乗る気持ち』濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第二十一回
- 単なる縛り係のことを、もっともらしく、「縄師」だなんて言いだしたのは、一体、どこのどいつだ?どこのどいつか、私は知っているのである。いちばんはじめに言い、名乗ったのは、じつは、美濃村晃なのだ。
- 美濃村晃が、「縄」への限りない愛着と、そして自虐と自嘲と韜晦を綯い交ぜにした複雑な心で、その夜、新宿のいきつけの某酒場で口走ったのだ。「私は、縄師をやっています」「私は、縄師をやっているヘンタイ男の須磨です。スケベのス、マヌケのマで、スマといいます。どうぞよろしく」このときの美濃村晃は、「裏窓」の編集長であった。一九五八年。
- 『臆病な人たち』濡木痴夢男のおしゃべり芝居 第四十一回
- 「縄師」という奇妙な呼称は、自分の根強い劣等感と、すこしでも克服しようという意志から出ている。(「縄師」という新語を考え出した人、つまり美濃村晃がそう言っていた。つまり自称です)「師」という字をつければ、だれかが間違って、本当に「師」と呼ばれるほどの偉い人だと錯覚し、自分の抱いている劣等感を、すこしでもまぎらわすことができるのではないか……。
- 「縛師」……バクシ。語感の汚ない、いやなひびきの言葉です。私はバクシだなんて呼ばれたら、いっそう劣等感を抱いてしまい、その場に居たたまれなくなる。バカにされてる、と本気で思ってしまう。
長田英吉関連資料
- 「縛ることを「緊縛」と日本で初めて表した」「取材などで縄師と呼ばれるのは「縄を作ってる人みたいで嫌だ」と自分を「緊縛師」と呼ばせていた」
明智伝鬼関連資料
- 『看板』乱田舞「乱舞」コラム2012年6月22日