「名和弓雄」の版間の差分

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==エピソード==
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*最初のSM映画とも指摘されている[http://ameblo.jp/takashi-san/entry-10346685302.html 『日本拷問刑罰史』]で緊縛指導。
*最初のSM映画とも指摘されている[http://metabiosis.blog53.fc2.com/blog-entry-1.html『日本拷問刑罰史』]で緊縛指導。
*『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た<ref>『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)</ref>。
*『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た<ref>『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)</ref>。
*[http://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html 明治大学刑事博物館]にコレクションを展示。
*[http://www.meiji.ac.jp/museum/criminal/keiji.html 明治大学刑事博物館]にコレクションを展示。

2011年9月7日 (水) 09:23時点における版

名和弓雄 (1912-2006 )

なわ ゆみお 1912年(明治45年)1月3日 - 2006年(平成18年)9月1日


活動内容

武道家(正木流宗家)、時代考証家。捕縄術研究家。

別名

Yumio Nawa

略歴

1962年(昭和36年)、裏窓2月号から4月号まで『日本拷問史』を連載。5月号には『西洋拷問史』。6月号からは『日本刑罰史』を12月まで連載。

1962年(昭和37年)、雄山閣より『拷問刑罰史』を出版。

1964年(昭和39年)、小森白監督の『日本拷問刑罰史』(新東宝)の製作に関与。製作=小森白プロダクション、配給=新東宝映画。

1965年(昭和40年)、裏窓1月号に『「日本拷問刑罰史」撮影裏話』

1966年(昭和41年)、サスペンスマガジン10月号に『続・日本拷問刑罰史』

エピソード

  • 最初のSM映画とも指摘されている[1]で緊縛指導。
  • 『日本拷問刑罰史』は、制作費の10倍の6千万円の配収入を得た[1]
  • 明治大学刑事博物館にコレクションを展示。
  • 『落第忍者乱太郎』の作者尼子騒兵衛は名和弓雄の弟子とされている(要確認)。

代表作

『日本拷問刑罰史』に関して

引用資料

  1. 『日本セクシー映画全集 第2集』(新風出版社, 1966)

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