「畔亭数久」の版間の差分

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*[[畔亭数久]][http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/026.html 『'''舞妓'''』][[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号
*[[畔亭数久]][http://nawa-art.com/backnumber/1950/195410/026.html 『'''舞妓'''』][[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号
*[[畔亭数久]]『'''変の字夜ばなし'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号
*[[畔亭数久]]『'''変の字夜ばなし'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)10月号
*村崎明・[[畔亭数久]]『'''百合子の冒険'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195412/030.html p46]
*[[畔亭数久]]『'''くすぐり責め'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195412/009.html グラビア]
*[[畔亭数久]]『'''くすぐり責め'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195412/009.html グラビア]
*村崎明・[[畔亭数久]]『'''百合子の冒険'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)12月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195412/030.html p46]
*[[畔亭数久]]『'''蜘蛛・河童'''』[[奇譚クラブ]]1954年(昭和29年)12月号,
 
*[[畔亭数久]]『'''雪国だより'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195502/01/014.html グラビア]
*[[畔亭数久]]『'''雪国だより'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195502/01/014.html グラビア]
*村崎明・[[畔亭数久]]『'''百合子の冒険 第二回'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)1月号
*村崎明・[[畔亭数久]]『'''百合子の冒険 第二回'''』[[奇譚クラブ]]1955年(昭和30年)1月号
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*[[畔亭数久]]『'''スケートの乙女'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/01/034.html p39]
*[[畔亭数久]]『'''スケートの乙女'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/01/034.html p39]
*[[畔亭数久]]『'''タンス逆さ縛り'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/01/040.html p45]
*[[畔亭数久]]『'''タンス逆さ縛り'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)2月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1960/196402/01/040.html p45]
*[[畔亭数久]]『'''ツイタテに縛られた少女'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)3月号
*[[畔亭数久]]『'''切腹断想'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)3月号
*[[畔亭数久]]『'''女相撲「出し投げ」'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号
*[[畔亭数久]]『'''女相撲「出し投げ」'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号
*[[畔亭数久]]『'''簾巻き'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号
*[[畔亭数久]]『'''簾巻き'''』[[奇譚クラブ]]1964年(昭和39年)5月号

2011年6月9日 (木) 07:21時点における版

畔亭数久 奇譚クラブ 1954年(昭和29年)5月号より

ぐろて すく、くろてい かずひさ

概要

絵師。1954年(昭和29年)2月のKK通信数久操の名前で初登場。その後、奇譚クラブ3月号にも登場し、1956年(昭和31年)4月号まで精力的に作品を発表した。そのクールな画風は、後に登場する丸尾末広花輪和一, 宮西計三につながるものがある。

別名

Suku Gurote、クロテイカズヒサ、数久操、絵のサインは『SUK』

略歴

1954年(昭和29年)2月、KK通信第17号, p4の山口晴行『異常性愛テクニック』に、数久操の名前でイラスト。サインは『SUK』。

1954年(昭和29年)3月、奇譚クラブ3月号に数久操の名前で『股間の感覚を刺激する縛り方』。

1954年(昭和29年)4月、奇譚クラブ4月号に畔亭数久と名前を変えて『 轢殺ー鉄路に散る二輪の花ー

エピソード

  • KK通信第17号の編集部便りには「京都在住の責絵画家数久操女史」と紹介されているが真偽は定かでない。
  • 奇譚クラブ1966年(昭和41年)7月号, p22に畔亭数久と思われる挿絵。ただし60年代の一連の作品は、過去の作品の再録の可能性が指摘されている[1]
  • 名前は江戸川乱歩の「湖畔亭事件」に由来する可能性が指摘されている。

代表作品

引用文献

  1. 懐かしき奇譚クラブのesme氏書き込み。

注釈

お役たちweb

つながり

<metakeywords> 畔亭数久,数久操,イラストレーター</metakeywords>