「發花杖」の版間の差分

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==使い方==
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「是は年はとりとても 極のきむすめに用ゐる也」「二本こしらへて是を用ふ也其法ぼうしばりのごとくし図のごとく行ふべし」
「是は年はとりとても 極のきむすめに用ゐる也」「二本こしらへて是を用ふ也其法ぼうしばりのごとくし図のごとく行ふべし」
==トピックス==
*[[梅亭金鵞]]は剣術使いでもあったので、元は剣術鍛錬用の杖だったのではないかという指摘がある<ref>アイヘン氏, 私信 to U</ref>。
== 引用文献==
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2011年4月14日 (木) 08:07時点における版

發花杖 奇譚クラブ 1953年(昭和28年)10月号より

はっかじょう(「発花杖」)

概要

安政〜文久、つまり1854年〜1863年の江戸時代[注 1]に既に使われていたと思われる責め具。梅亭金鵞(金鵞大人、吾妻雄兔子、吾妻男一丁, 1821-1893)の作で、酒井潔『らぶ・ひるたぁ』(文藝市場社, 1929)で紹介されていると、村田誠一奇譚クラブで紹介している[1]

作り方

發花杖 奇譚クラブ 1953年(昭和28年)10月号より

「まづ竹のふしをぬきてやわらかき糸をかくのごとくあなをあけたる中へいるべし」

使い方

「是は年はとりとても 極のきむすめに用ゐる也」「二本こしらへて是を用ふ也其法ぼうしばりのごとくし図のごとく行ふべし」

トピックス

  • 梅亭金鵞は剣術使いでもあったので、元は剣術鍛錬用の杖だったのではないかという指摘がある[2]

引用文献

  1. 村田誠一奇具研究「發花杖奇譚クラブ 1953年(昭和28年)10月号, p32
  2. アイヘン氏, 私信 to U

注釈

  1. 梅亭金鵞は明治まで生きていたので、あるいは明治時代初期なのかもしれない。

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